何が語られるか
2012年末に始まったアベノミクスと異次元緩和が、円安・株高を通じて日本市場をどう変えたかを10年の時間軸で辿る。
「三本の矢」という言葉を覚えているだろうか。2012年末、長く続いたデフレと円高、低迷する株価——その空気を一夜で変えたのが、アベノミクスという言葉だった。日経平均は一時8,000円台に沈んでいた。それが、ほんの数年で2万円を回復していく。何が起きたのか。金融政策という、ふだんは新聞の片隅にある話が、なぜあれほど株価を動かしたのか。この3章で、政策と相場、そして「お金の量」がマーケットに何をもたらすのかを、史実に沿って読み解いていく。
誰が読むべきか
- 中央銀行の金融緩和が、なぜ株価・為替・債券を同時に動かすのか——その伝わり方の道筋を理解できる
- 急騰相場には必ず付いてくる「乱高下」の正体と、政策期待だけで上がった相場の脆さを学べる
- GPIFや日銀のETF買いといった「巨大な買い手」が市場構造そのものを変えていく過程を知れる
试聴く第一章音声解説
精読全文
第 1 章 · 三本の矢——空気が変わった日
2012年11月14日。この日付を、相場を学ぶ人は覚えておいていい。
当時の野田佳彦首相が、衆議院の解散を表明した日だ。総選挙が行われれば、自民党が政権に返り咲く——市場はそう読んだ。そして、自民党を率いていた安倍晋三が掲げていたのが、後に「アベノミクス」と呼ばれる経済政策だった。日経平均株価は、この解散表明をきっかけに動き始める。それまで8,000円台後半で重く沈んでいた株価が、選挙を経て政権が発足する12月までに1万円の大台を視野に入れていく。わずか一カ月あまりの出来事だ。
何が、人々の心をそこまで動かしたのか。
アベノミクスは、三つの柱で語られた。「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」——いわゆる三本の矢だ。中でも市場が真っ先に反応したのは、一本目の金融政策だった。安倍は、デフレからの脱却を明確な目標に掲げ、日本銀行にこれまでにない規模の金融緩和を求めた。物価が持続的に下がり続けるデフレ。それは経済を縮ませ、円の価値を相対的に高め、輸出企業を苦しめてきた。長く続いた円高と株安の根っこには、このデフレがあった。
ここで、この unit の見取り図を示しておこう。全3章で、私たちはアベノミクス相場の10年を辿る。第1章であるこの章では、2012年末の政権発足から2013年にかけて、なぜ空気が一変したのか——その起点を見る。続く第2章では、2013年に放たれた「黒田バズーカ」と呼ばれる異次元緩和、そして急騰のあとに必ずやってきた乱高下を扱う。最後の第3章では、GPIFや日銀によるETF買いといった「巨大な買い手」の登場、そして2020年のコロナ後の上昇までを見届ける。政策が相場を動かす、その一連の道筋を追っていく。
さて、話を2012年末に戻そう。なぜ、政策の「言葉」だけで株価が上がったのか。
相場は、現実そのものよりも、現実の「これから」を映す。投資家たちは、強力な金融緩和が行われればどうなるかを先回りして考えた。お金が大量に供給されれば、円の価値は下がりやすい。円安だ。円が安くなれば、トヨタやソニーのような輸出企業の採算は改善する。海外で稼いだドルが、より多くの円に換わるからだ。企業の利益が増えるなら、その株を持つ価値も上がる。だから株を買う——この連想が、政策が実際に動き出す前から相場を押し上げた。期待が、現実に先んじて価格になる。これがマーケットの本質的な姿だ。
実際、為替は素直に反応した。2012年秋には1ドル80円前後だった円相場が、年末に向けて85円、90円と円安方向へ滑っていく。そして2013年に入ると、その動きはさらに加速していった。円安と株高は、まるで二人三脚のように歩調を合わせて進む。一方が進めばもう一方も進む。この連動こそ、アベノミクス相場を貫く一本の太い線だった。
だが、ここで立ち止まって考えてほしい。期待だけで上がった相場は、本当に続くのか。政策が言葉どおりに実行され、企業の利益が本当に増えるところまで届かなければ、期待はいずれ剥がれ落ちる。2013年、市場は次の試練を迎えることになる。それは、史上まれにみる急騰と、その直後の激しい揺り戻しだった。なぜ、あれほど一本調子に上がった相場が、突然崩れたのか。次章で、その核心に踏み込んでいく。
第 2 章 · 黒田バズーカと、急騰のあとの揺れ
前章で見たのは、政策への「期待」だけで相場の空気が一変した、その起点だった。期待が現実に先んじて価格になる——円安と株高が二人三脚で進み始めた。では、その期待に「現実」が追いついたとき、相場はどうなったのか。
2013年3月、日本銀行の総裁に黒田東彦が就任する。そして4月4日、最初の金融政策決定会合で、市場の予想をはるかに超える緩和策を打ち出した。後に「黒田バズーカ」と呼ばれるものだ。
その中身は、文字どおり異次元だった。日銀は「2年程度で物価上昇率2%を目指す」と明言し、そのために市場に供給するお金の量——マネタリーベース——を2年間で2倍にすると宣言した。具体的なには、年間およそ50兆円のペースで国債を買い入れ、市場にお金を流し込む。それまでの日銀の常識からすれば、桁違いの規模だった。世間はこれを「量的・質的金融緩和」と呼び、略してQQEと記した。
市場の反応は劇的だった。発表当日、日経平均は急騰し、円は一段と安くなった。そこからの数週間、株価はほとんど一直線に駆け上がっていく。2012年末に1万円を回復したばかりの日経平均は、2013年5月には1万5,000円を超えた。半年で5割を超える上昇だ。為替も、ついに1ドル100円の節目を突破した。日本中が、長いトンネルを抜けたような高揚感に包まれた。
だが——上がり続ける相場はない。
2013年5月23日。この日、日経平均は一日で1,143円も下落した。下落率にして7%を超える、暴落と呼ぶべき急落だった。前日まで1万5,600円台にあった株価が、あっという間に崩れ落ちた。一本調子で上がってきた相場は、一本調子のままでは終わらなかったのだ。
なぜ、突然崩れたのか。きっかけは複数あった。中国の景気指標が市場予想を下回ったこと。そして海の向こうでは、アメリカのFRBが大規模緩和を「いずれ縮小するかもしれない」という観測が広がり始めていたこと。世界の投資家のあいだに、これまでの楽観に対する疑いが芽生えた。加えて、日本の長期金利が緩和にもかかわらず乱高下していたことも、市場の神経を逆なでした。あまりに速く、あまりに高く上がった相場には、わずかな疑念でも一気に崩れる脆さが潜んでいた。
ここに、相場を学ぶうえで大切な教訓がある。急騰は、急落の母胎になりやすい。短期間に大きく上がった相場ほど、利益を確定して逃げようとする動きが溜まっていく。何かのきっかけでその売りが一斉に動き出すと、上昇のときと同じ勢いで、今度は下へ向かう。5月23日の暴落は、その典型だった。
しかも、この乱高下は一度では終わらなかった。その後も2013年を通じて、日経平均は1万3,000円台から1万6,000円台のあいだで激しく上下を繰り返した。期待だけで駆け上がった相場が、現実の経済の歩みと折り合いをつけるための、長い調整の時間だったとも言える。政策が「お金の量」を増やしても、それが企業の利益や人々の賃金として実体経済に染み込むには、時間がかかる。相場の期待と、経済の現実。この二つのあいだに開いた距離が、乱高下となって表れた。
それでも、アベノミクス相場の大きな流れは、ここで終わらなかった。むしろ、ここから相場の「支え手」が大きく変わっていく。市場には、これまでにない巨大な買い手が現れようとしていた。それは、私たちの年金を運用する組織であり、そして日本銀行そのものだった。なぜ、中央銀行が株を買うという異例の事態にまで踏み込んだのか。次章で、その10年の到達点を見届けよう。
第 3 章 · 巨大な買い手——10年が変えたもの
前章で見たのは、黒田バズーカによる急騰と、2013年5月の暴落、そしてその後の長い乱高下だった。期待だけで上がった相場が、現実と折り合いをつけようとして揺れた——そういう時期だった。では、その揺れる相場を、誰が支えていったのか。
ここから、アベノミクス相場は新しい局面に入る。市場に、これまでにない巨大な買い手が登場したのだ。
まず、GPIF——年金積立金管理運用独立行政法人。私たちが納める公的年金の積立金を運用する組織で、運用資産は100兆円を優に超える、世界最大級の機関投資家だ。このGPIFが、2014年10月、資産配分の方針を大きく見直した。それまで国内債券を6割という保守的な構成だったものを、国内株式と外国株式の比率を大きく引き上げ、株式全体でおよそ半分を占める構成へと変えたのだ。国内株式の目標は、それまでのおよそ12%から25%へ——倍以上の引き上げだった。世界最大級の資金が、債券から株式へと舵を切る。これは、日本株にとって途方もなく大きな買い需要を意味した。
そしてもう一つ、より異例だったのが、日本銀行そのものによる株式の買い入れだった。
中央銀行は本来、お金の量や金利を通じて経済を調整するのが仕事だ。株式市場で直接、株を買うことなど、世界の常識からすれば極めて異例だった。だが日銀は、ETF——上場投資信託、つまり株価指数に連動する金融商品——を買い入れるという形で、株式市場に資金を投じ続けた。その規模は、アベノミクスが進むなかで段階的に拡大し、年間6兆円というペースにまで膨らんだ時期もある。日銀は、いわば相場の「最後の買い手」として市場の下支え役を担っていった。
この二つの巨大な買い手の登場は、相場の風景そのものを変えた。株価が下がる局面でも、その背後に「いずれ買いが入る」という安心感が漂うようになる。市場の値動きは、企業の業績や世界経済だけでなく、こうした政策的な買い手の存在によっても形づくられるようになった。これは、相場を読むうえで見落としてはならない構造の変化だ。誰が買い、誰が売るのか——市場の主役が変われば、値動きの癖も変わる。
もちろん、これには光と影がある。下支えは安心をもたらすが、同時に、本来あるべき価格発見の機能を鈍らせるという批判もつきまとった。中央銀行が大株主になることへの懸念、出口をどう描くのかという難題——それらは、この10年を通じてずっと議論の的であり続けた。
そして2020年。世界を新型コロナウイルスが襲った。3月、各国の株価は歴史的な暴落を演じ、日経平均も一時1万6,000円台まで急落した。だが、ここでも金融政策が動く。日銀はETFの買い入れ枠をさらに拡大し、世界の中央銀行も一斉に大規模な緩和に踏み切った。すると相場は実体経済がまだ苦境にあるなかで、驚くほど力強く回復していく。日経平均は同じ年の終わりには2万7,000円台を回復し、翌年には、ついにバブル崩壊後の長い停滞のなかで届かなかった3万円の大台に乗せた。30年ぶりの高値だった。
ここに、アベノミクス相場の10年を貫く一本の真理が浮かび上がる。お金の量は、相場を動かす。中央銀行が市場に大量の資金を供給し、自ら買い手にまで回るとき、株価は実体経済から一時的に離れて上昇しうる——これが、この10年が私たちに見せた光景だった。だが、それは同時に問いも残した。政策が支える相場は、政策が変わったときどうなるのか。お金の力で押し上げられた価格は、いつか自分の足で立てるのか。
アベノミクス相場の10年を振り返ろう。2012年末、期待だけで空気が変わった。2013年、黒田バズーカが現実を動かし、同時に激しい乱高下を生んだ。そしてGPIFと日銀という巨大な買い手が市場の構造を変え、2020年のコロナ後には、お金の力が再び相場を押し上げた。金融政策と株式市場——この二つは、もはや切り離せない。マクロの視点を持つとは、目の前の株価の背後で、どんな「お金の流れ」が動いているのかを読むことだ。チャートの向こうに、中央銀行の決断が透けて見えるようになったとき、あなたは相場をひとつ深く理解したことになる。
お金の量は、相場を動かす——だが、お金の力で押し上げられた価格が、いつか自分の足で立てるかは、また別の問いである。—— 金言
について心路
アベノミクスは、2012年12月に発足した第二次安倍政権が掲げた経済政策の総称。大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の「三本の矢」を柱とし、日本銀行による異次元緩和と一体で進められた。為替・株式・金利のすべてに影響を及ぼし、2010年代の日本市場を象徴する出来事となった。
查看心路全投資ノート →本篇 1 の書き留めたい一節
- お金の量は、相場を動かす——だが、お金の力で押し上げられた価格が、いつか自分の足で立てるかは、また別の問いである。—— 金言



