何が語られるか
エイボンとポラロイドを持たなかったことで1972年は同業に負けた。だが1974年、彼は無傷で切り抜けた。
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第 1 章 · ジョン・ネフ、ニフティ・フィフティを拒む――誰もがPER60倍で成長株に群がる中、彼は静観を選んだ
エイボンとポラロイドを持たなかったことで1972年は同業に負けた。だが1974年、彼は無傷で切り抜けた。
1972年のウォール街には、「買わない奴は馬鹿だ」という名の合意があった。
その年、アメリカ最大の年金ファンド、保険会社、投資信託が、ほとんど同時に同じ一群の株へ資金をなだれ込ませた。それらには耳ざわりのいい呼び名があった――ニフティ・フィフティ。口紅と香水を売るエイボン・プロダクツ、PER65倍。ハンバーガーを売るマクドナルド、80倍。インスタントカメラをつくるポラロイド、PERは90倍を超えた。機関投資家の理屈はこうだ。これらの会社は永遠の勝者だ、持っていればいい、多少バリュエーションが高くたって何だというのか――。
ジョン・ネフはウィンザー・ファンドのオフィスで、その数字を何度も何度も見つめていた。
彼がウィンザー・ファンドを運用してすでに十年近くになる。低PER戦略で名を馳せたファンドだ。原則はいたってシンプル――良い会社を安い値段で買い、市場が価値を見直すのを待つ。成長株の魅力を理解していなかったわけではない。ただ、この計算がどうしても合わなかったのだ。一つの会社がいったい何年、高い成長を保ち続ければ、90倍というPERを支えられるのか? ポラロイドのカメラは確かに使い勝手がいい。だが、それは紙幣印刷機ではない。
彼は買わないことを選んだ。
この決断は、1972年の彼に代償を払わせた。その年、ニフティ・フィフティは上がり続け、これらの株を抱えたファンドマネジャーたちは大いに脚光を浴びた。ランキングに並ぶ名前は、どれもネフではなかった。顧客から電話が入りはじめる。なぜウィンザーのリターンは同業に負けているのか、と。社内にも圧力があった――運用資産の伸びは鈍り、新規資金はむしろ「市場に乗っている」ファンドへ流れていく。
ネフは揺るがなかった。後に回顧録で、彼はその時期の心境をこの一言にまとめている。「正しいときに愚かに見えるほうが、間違ったときに賢く見えるよりずっといい」
といって、ただ手をこまねいて待っていたわけではない。ウィンザーの資金は別の一群の株へ振り向けられていた。市場に忘れられ、PERがまだ一桁の会社たち――エネルギー株、銀行株、自動車株。どれも華がなく、物語もなく、アナリストはレポートを書く気にもならない業種だ。だがネフの理屈はこうだった。安いということ、それ自体が安全マージンなのだ、と。
1973年1月、転機が訪れる。
たった一つの出来事がこの崩壊の引き金を引いたわけではない。だが、すべてが同時に緩みはじめた。インフレが企業利益を蝕みはじめ、金利の上昇が高バリュエーション株の割引余地を圧縮し、機関投資家の資金が退却を始めた。ニフティ・フィフティの神話はこの年から崩れはじめ、しかもその崩れる速さは、誰の準備をも置き去りにした。
エイボンはPER65倍の高値から一直線に下げていった。1974年末までに、株価はおよそ86%を失う。ポラロイドの下落幅は90%を超えた。マクドナルドも高値から70%超の下落。ニフティ・フィフティの組み合わせ全体で、平均下落幅は60%から80%の間。1972年に満玉で高値を追った機関投資家は、わずか二年で顧客の資産の大半を消し去ったのだ。
ウィンザー・ファンドの保有銘柄に、これらの名前はほとんどなかった。
ネフは無傷で切り抜けただけではない。もっと重要なことをした――買いはじめたのだ。エイボンが高値から半値になり、さらにその半値まで下げ、市場の誰もが「この会社たちにもう救いはあるのか」と問うていたとき、ネフは別の問いを計算していた。今のこの価格は、PERにして何倍に当たるのか? その答えは、次第に魅力的なものになりはじめていた。
彼は分割して買い建て、ニフティ・フィフティから転げ落ちた成長株を数銘柄、手にした――高バリュエーションへの見方を変えたからではない。むしろ、バリュエーションが彼の払ってもいい水準まで戻ってきたからこそ、だ。これこそ彼が本当に待っていた瞬間だった。
この事例には、わざわざ取り出して語るに値する細部がひとつある。1972年、ネフはニフティ・フィフティを買うのを拒み、順人の後退という圧力に耐えた。この機会費用は本物だ――彼の顧客はあの時期、確かに儲け損なっている。逆張り投資家にとって最もつらいのは、間違いだと証明されることではない。「一時的には正しいが、あまりに早すぎた」と証明されることだ。市場は、間違った方向へ、誰の予想よりも遠く、長く進みうる。ネフは1972年に高値追いを拒んだが、ニフティ・フィフティはそこからさらに一年近く上がってから天井をつけた。この一年の煎れるような苦しみこそ、後に無傷で切り抜けるために、前払いせざるを得なかった代償だった。
同業からの仲間内の圧力こそ、この物語で最も語られず、しかし最も本物の変数だ。競合が全員、同じ一群の株を買い、顧客が他人の運用報告書を手に詰め寄り、ランキングで自分の名前がじりじり下がっていく――そのとき規律を守り抜くには、判断力だけでは足りない。ほとんど頑固とすら言える自己確信がいる。ネフにはその確信があった。彼の理屈は検証可能だったからだ。自分が何を計算しているのかを知っていたし、市場が何を見落としているのかも知っていた。
1974年の弱気相場が終わったあと、ウィンザー・ファンドの長期成績が物を言いはじめる。1964年から、ネフが引退する1995年まで、ウィンザー・ファンドの累積リターンはS&P500指数を55ポイント余り上回り、年率の超過リターンはおよそ3.1%だった。この数字は一見、天地を揺るがすほどではない。だが31年の複利は、ウィンザー・ファンドを当時アメリカ最大級の投資信託のひとつに変えたのだ。
ニフティ・フィフティの物語が教えるのは、こういうことだ。市場の値づけの理屈は、とても長いあいだ「間違った」ままでいられる。だが平均回帰は一度も欠席したことがない。ただ、遅れてやって来るだけだ。
ネフは、それを待ちきれた。
極端なバリュエーションは、主観的な判断ではなく、数値化できるリスクのシグナルだ。PERが正常水準の3倍から5倍に達したら、「この割高さを消化するのに何年の高成長が要るのか」を自ら計算し、漠然とした「高い」という直感を具体的なな数字に置き換えよ。—— 投資の示唆
本篇 1 の書き留めたい一節
- 極端なバリュエーションは、主観的な判断ではなく、数値化できるリスクのシグナルだ。PERが正常水準の3倍から5倍に達したら、「この割高さを消化するのに何年の高成長が要るのか」を自ら計算し、漠然とした「高い」という直感を具体的なな数字に置き換えよ。—— 投資の示唆



