何が語られるか
「金儲けの神様」と呼ばれた邱永漢は、難しい理論ではなく、誰もが覚えて口ずさめる短い言葉を数多く遺した。その名言を入り口に、お金との付き合い方、長期の複利、無理をしない投資、そして時間を味方につける生き方を辿る。
邱永漢の本を読んだ人が口を揃えて言うことがある。「むずかしい話が一つも出てこない」。経済学者でありながら、彼は専門用語をほとんど使わなかった。代わりに彼が残したのは、台所で、通勤電車で、ふと思い出せるような、短くて手触りのある言葉だった。,「金を追いかけるな、金に追いかけられる人間になれ」。「お金は寝かせるな」。「儲けようとするな、損をしないようにしろ」。一つひとつは、たった一行だ。だが、その一行の裏には、戦争と亡命をくぐり抜け、作家として直木賞を受け、実業家として何度も賭けては立ち直った、八十八年分の経験が詰まっている。,この特集では、邱永漢の名言を四つ選び、それを入り口に彼の投資哲学へと分け入っていく。お金とどう付き合うか。なぜ「無理をしない」ことが最強なのか。複利と時間は、なぜこれほど強いのか。言葉を覚えることが目的ではない。その言葉が、どんな経験から生まれ、明日の自分の判断をどう変えるのか――そこまで辿り着くのが、この四章の狙いだ。
誰が読むべきか
- 邱永漢が遺した名言を入り口に、お金を「目的」ではなく「道具」として扱う考え方を、自分の言葉として持ち帰れる
- 「儲ける」より先に「損をしない」を置く――無理をしない投資が、なぜ長く生き残るのかを理解できる
- 複利と時間という二つの味方を、焦りや欲とどう調和させるか――長期投資家の心の置きどころを学べる
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精読全文
第 1 章 · 「金を追いかけるな」――名言の裏にある経験
「金を追いかけてはいけない。金のほうが、あなたを追いかけてくるようにするのだ」。邱永漢が遺した、もっとも有名な言葉の一つだ。耳に心地よい。だが、ただの格言として聞き流してしまうと、その芯を取り逃がす。なぜ彼は、こんな言い方をしたのか。この言葉の裏には、一人の人間が八十八年かけて掴んだ、生々しい経験が詰まっている。
まず確認しておきたい。邱永漢は、ただの評論家ではなかった。1924年、日本統治下の台湾・台南に生まれ、東京帝国大学の経済学部で経済を学問として学んだ。戦後の混乱で故郷を離れ、香港へ逃れ、何もないところから商売を立ち上げる人々を間近で見た。日本に渡ってからは、1955年に小説『香港』で直木賞を受賞した、れっきとした作家でもある。その彼が、いつしか「金儲けの神様」と呼ばれるようになった。学問・現場・文章――この三つを併せ持つ人だったからこそ、彼の言葉は重かった。
この特集では、彼が遺した名言を四つ選び、その一つひとつを入り口に、投資哲学へと分け入っていく。第一章では、いま挙げた「金を追いかけるな」という言葉から、お金との根本的な付き合い方を。第二章では「儲けようとするな、損をしないようにしろ」という、彼の守りの哲学を。第三章では「お金は寝かせるな」という言葉から、複利と時間の力を。そして第四章では、無理をせず長く続けることがなぜ最強なのか――彼の時間の感覚を、まとめて掘り下げる。名言を覚えるのが目的ではない。その言葉が、どんな経験から生まれたのかを知り、自分の判断に翻訳することが狙いだ。
では、「金を追いかけるな」とは、具体的ななにどういうことか。素朴に読めば、矛盾しているように聞こえる。お金が欲しいなら、追いかけるしかないではないか――。だが邱永漢の真意は逆だ。お金そのものを目がけて走る人は、たいていお金から逃げられる、と彼は見ていた。値上がりしそうな株に飛びつき、儲け話に群がり、急いで稼ごうとする。そういう人ほど、高値を掴み、騙され、結局お金を失っていく。お金を直接追いかける姿勢は、判断を焦らせ、目を曇らせるのだ。
では、どうするか。彼の答えはこうだ。お金そのものではなく、「お金を生み出す源」に目を向けよ。人の役に立つ仕事をする。世の中が本当に必要としているものを見抜く。腕を磨き、信用を積む。そうやって源のほうを太くしていけば、お金は結果として後からついてくる。彼の言う「金に追いかけられる人間になれ」とは、お金の入り口を自分の内側に作れ、ということだった。追いかけるのは、お金ではなく、価値のほう。これが、すべての出発点になる。
ここには、彼の苦い実体験が影を落としている。戦後、彼は財産や地人が一夜にして意味を失う時代を生きた。香港では、お金そのものではなく「稼ぐ力」を持つ人間だけが生き延びるのを目の当たりにした。お金は、状況が変われば紙きれ同然になる。だが、稼ぐ力・見抜く目・立ち直る根性は、誰にも奪えない。だから彼は、お金を直接握りしめるのではなく、それを生み出す自分自身を鍛えることに価値を置いた。「金を追いかけるな」という言葉は、その確信の結晶なのだ。
この考え方は、投資にもそのまま効いてくる。お金を追いかける投資家は、上がりそうな銘柄を追い、値動きを追い、噂を追う。だが追えば追うほど、後手に回る。誰かが買って上がったと聞いてから動くのだから、買うときにはもう高い。下がり始めてから慌てるのだから、売るときにはもう安い。お金を追う姿勢は、構造的に「高く買って安く売る」へと人を導いてしまうのだ。一方、価値を見る投資家は、「この会社は本当に人の役に立っているか」を問う。役に立っている会社は、時間が経つほど価値を増す。すると、お金のほうから近づいてくる。同じ市場を見ていても、何を追いかけているかで、結果はまるで変わる――邱永漢は、それを言葉一つに込めた。
お金を追うのではなく、価値を追う。入り口を自分の中に作る。シンプルだが、実行するのは案外むずかしい。目の前で誰かが儲けていると、つい追いかけたくなるからだ。では、その「追いかけたくなる気持ち」と、どう折り合いをつければいいのか。次の章では、彼のもう一つの名言――「儲けようとするな、損をしないようにしろ」という、一見うしろ向きにも聞こえる言葉から、攻めではなく守りの哲学に踏み込んでいきたい。
第 2 章 · 「儲けようとするな、損をしないようにしろ」
前章では、「金を追いかけるな」という名言から、お金そのものではなく、それを生み出す価値に目を向けよという邱永漢の考えを辿った。だが、頭では分かっていても、実際の市場では誰もが「儲けたい」という欲に引っ張られる。その欲とどう折り合うか。ここで効いてくるのが、彼のもう一つの言葉だ。「儲けようとするな。損をしないようにしろ」。
初めて聞くと、後ろ向きに響くかもしれない。投資とは儲けるためにやるのではないか。なぜ「儲けるな」と言うのか――。だが、これは消極論ではない。むしろ、長く市場で生き残るための、きわめて積極的な戦略だった。邱永漢が見ていたのは、シンプルな事実だ。大きく儲けても、一度の大きな損で、それまでの利益はすべて吹き飛ぶ。投資の世界で本当に怖いのは、儲け損なうことではなく、退場させられることなのだ。
ここには、彼が肌で知っていた数字の非対称性がある。たとえば、百万円が半分の五十万円に減ったとする。元に戻すには、五十万円を百万円にしなければならない。つまり五割の損を取り返すには、十割――倍の上昇が必要になる。損は、減らすときより取り返すときのほうが、はるかに重いのだ。だから一度の致命傷を避けることが、長期では何よりも効いてくる。「損をしないようにしろ」とは、この非対称性を体で分かっていた人の、現実的な知恵だった。
邱永漢自身、決して負け知らずの人ではなかった。彼は評論家であると同時に、自ら数多くの事業に資金を投じた実業家でもある。当然、うまくいかなかった投資も事業もあった。だが彼は、何度つまずいても立ち直り、八十八年を生き抜いた。なぜ立ち直れたのか。致命傷を避けていたからだ。一回の賭けに全財産を注ぎ込むような真似をしなかった。だから一つの失敗が、すべての終わりにはならなかった。「無理をしない」とは、彼にとって臆病さではなく、何度でも打席に立ち続けるための条件だった。
この「損をしない」という発想は、二つの具体的なな態度につながる。一つは、自分が本当に分かるものだけに手を出すこと。分からないものに賭けるのは、ギャンブルだ。世の中の仕組み、その商売の中身、そこに集まる人々の欲求――それを自分の目で読めるものにだけ、お金を置く。読めないものには、どれほど儲かりそうでも近づかない。儲け話の多くは、「よく分からないが、すごく儲かるらしい」という形でやってくる。その「よく分からない」が、致命傷の入り口なのだ。もう一つは、無理な借金で勝負を膨らませないこと。借りた金で賭ければ、当たれば大きいが、外れたとき逃げ場がなくなる。手持ちの範囲なら、外しても痛手で済む。だが借金で膨らませた勝負を外せば、痛手では済まず、退場になる。退場の最大の原因は、たいてい「身の丈を超えた勝負」にある。
ここで誤解してはいけない。彼は「儲けるな」と言ったわけではない。「儲けようと焦るな」と言ったのだ。順番の問題である。まず守りを固める。致命傷を避ける態勢を作る。その土台の上でなら、利益はじっくり狙えばいい。攻めと守りでいえば、彼はまず守りを先に置いた。なぜなら、生き残ってさえいれば、機会は何度でも巡ってくるからだ。退場してしまえば、次のチャンスが来ても、もう打席に立てない。守りを先に置くのは、より多くの機会を手にするための、長期の攻めの一手でもあった。
そして、この守りの哲学が、長期投資の本質と重なってくる。短期で大きく儲けようとすれば、どうしても無理をする。無理をすれば、致命傷のリスクが上がる。逆に、無理をせず、自分が分かるものに、身の丈の範囲で長くお金を置けば、致命傷は避けられる。生き残れる。そして生き残った人だけが、次の章で見る「時間の力」――複利の恩恵を、長い年月をかけて受け取ることができる。守りは、ただ守るためではない。長く生き残り、時間を味方につけるための入り口なのだ。
「儲けようとするな。損をしないようにしろ」。一見うしろ向きなこの言葉は、実は最も前向きな、長期戦の宣言だった。では、その長期戦で本当に効いてくる味方とは何か。なぜ邱永漢は「お金を寝かせるな」と言い続けたのか。次の章では、彼の言葉を入り口に、複利と時間という、もう一つの強力な味方に迫っていきたい。
第 3 章 · 「お金は寝かせるな」――複利と時間の力
前章では、「儲けようとするな、損をしないようにしろ」という言葉から、まず守りを固め、致命傷を避けて生き残るという邱永漢の哲学を見た。生き残ることには、目的がある。長く生き残った人だけが受け取れる、もう一つの強力な味方――複利と時間の力だ。彼はそれを、こう言い表した。「お金は寝かせるな」。
この言葉の意味は、ただ単に「貯金するな」ということではない。邱永漢が嫌ったのは、お金がじっと止まっている状態そのものだった。お金は、世の中を巡ってこそ価値を生む。タンスの中で眠っているお金は、何も生まない。それどころか、物価が上がっていけば、同じ一万円で買えるものは年々減っていく。動かないお金は、ただ持っているだけで、こっそり目減りしていくのだ。だから彼は、お金を働かせろ、循環させろ、と説いた。
では、お金を働かせると、何が起きるのか。ここで効いてくるのが複利だ。お金が生んだ利益を、また元手に加えて働かせる。すると次は、最初の元手だけでなく、増えた分にも利益がつく。雪だるまを坂で転がす姿を思い浮かべるといい。最初は小さくても、転がるたびに雪をまとい、ある時点から急に大きくなる。複利の効き方も、これによく似ている。前半はじれったいほど緩やかで、後半になって一気に伸びる。だから複利は、短気な人には恩恵を見せてくれない。最後まで転がし続けた人にだけ、本当の姿を現すのだ。
ここに、時間という味方が決定的に関わってくる。複利は、時間が長いほど効く。同じ元手、同じ利回りでも、五年置くのと三十年置くのとでは、結果がまるで違う。前半の緩やかな期間を耐え、後半の急カーブまで到達できるかどうか――その分かれ目が、時間なのだ。前章で「致命傷を避けて生き残れ」と説いたのは、まさにこのためだった。途中で退場すれば、複利の急カーブは永遠に訪れない。生き残ることと、お金を寝かせず働かせ続けること。この二つが噛み合ってはじめて、時間は味方になる。
だが、ここで邱永漢は、もう一つ大事な釘を刺す。「寝かせるな」を、「せわしなく動かせ」と取り違えてはいけない、と。お金を働かせることと、お金をいじり回すことは、まったく違う。優れた事業に長くお金を置いておく――それも、立派に「働かせている」状態だ。むしろ、慌てて売り買いを繰り返すほうが、複利の腰を折ってしまう。値上がりするたびに利益を確定し、お金を引き上げてしまえば、雪だるまはそこで成長を止める。彼が言う「寝かせるな」とは、価値を生まない場所に放置するなという意味であって、腰を据えるなという意味では決してなかった。
この区別は、彼の人生にもよく表れている。邱永漢は、株式から不動産、アジア各地での事業まで、お金を一つの場所に塩漬けにせず、世の中の動きに合わせて循環させ続けた。だが、その一つひとつには腰を据えて取り組んだ。流行を追って右往左往したのではない。時代の大きな流れを読み、有望な場所にお金を置き、そこにじっくり付き合った。一年で結果が出なくても、二年で芽が出なくても、見立てが正しいと信じられるかぎり、待った。動かすべきところでは動かし、据えるべきところでは据える。この緩急の使い分けが、彼の言う「お金を寝かせない」ことの実像だった。じっとさせないことと、せわしなくすることは、まるで違うのだ。
そして、複利の最も大きな恩恵は、お金だけにとどまらない。邱永漢は、知識も経験も信用も、複利で増えると考えていた。今日学んだことが、明日の判断を少しよくする。その少しよい判断が、次のもっとよい判断につながる。仕事で得た信用が、次の仕事を呼ぶ。お金の複利と同じように、これらも前半は地味で、後半に効いてくる。だから彼は、若いうちから、お金も学びも信用も、止めずに回し続けよと説いた。すべては、時間をかけて複利で育つものだったからだ。
お金を寝かせず、しかし腰を据えて、長い時間をかけて複利を効かせる。言葉にすれば単純だが、これを最後までやり切れる人は多くない。前半の緩やかさに焦れ、つい途中で雪だるまを止めてしまうからだ。では、その焦りや欲とどう付き合い、無理なく長く続けるのか。最終章では、これまで見てきた四つの名言を一本の糸でつなぎ直し、「無理をせず、時間を味方につける」という邱永漢の生き方の核心に迫っていきたい。
第 4 章 · 無理をしない――時間を味方につける生き方
前章では、「お金を寝かせるな」という言葉から、複利と時間の力を見た。お金を循環させ、腰を据えて、長い年月をかけて雪だるまを大きくする。だがその道のりには、前半の緩やかさに焦れ、途中で投げ出したくなる誘惑がつきまとう。この最終章では、これまでの四つの名言を一本の糸でつなぎ、邱永漢がたどり着いた核心――「無理をせず、時間を味方につける」生き方を、まとめて掘り下げたい。
まず、四つの言葉を並べてみよう。「金を追いかけるな」。「儲けようとするな、損をしないようにしろ」。「お金は寝かせるな」。そして、これらすべての土台にある考えが、「無理をするな」だ。一見ばらばらに見えるこれらの言葉は、実は一つの中心の周りを回っている。その中心とは、時間だ。お金を追わず価値を見るのも、致命傷を避けて生き残るのも、お金を働かせ続けるのも、すべては「長い時間を味方につける」という、ただ一つの目的のためにある。
なぜ、時間がそれほど大切なのか。邱永漢の人生そのものが、その答えになっている。彼は1924年に生まれ、2012年に世を去るまで、八十八年を生きた戦争があり、故郷を離れ、香港をさまよい、日本で作家として身を立て、評論家になり、実業家になり、晩年には事業の足場をさらに広げた。肩書きも、場所も、何度も変わった。だが、その底には変わらぬ一本の軸があった。腰を据えて、無理をせず、長く続ける――この態度である。短期で大きく当てようとした人々が次々と消えていく中で、彼は焦らず生き残り、時間に利益を運ばせ続けた。
ここで、「無理をしない」という言葉の本当の意味を、はっきりさせておきたい。それは、挑戦しないことでも、守りに入って縮こまることでもない。身の丈を超えた勝負をしない、ということだ。全財産を一つの賭けに注がない。借りた金で勝負を膨らませない。自分が分からないものに手を出さない。なぜなら、無理をした一回の失敗が、それまで積み上げた時間をすべて台無しにするからだ。複利の雪だるまは、転がし続ければ大きくなるが、一度の致命傷で坂の下まで砕け散る。無理をしないとは、その雪だるまを坂の途中で壊さないための、慎重さの別名だった。
そして、無理をしないことは、欲との付き合い方でもある。市場には、つねに「もっと速く、もっと大きく」という誘惑が満ちている。隣の誰かが短期で儲けたと聞けば、自分も乗り遅れまいと焦る。だが邱永漢は、その焦りこそが最大の敵だと知っていた。焦れば、追いかけてはいけないお金を追いかけ、避けるべき致命傷に近づき、効かせるべき複利を途中で止めてしまう。焦りは、彼の四つの教えのすべてを裏返しにする。だから彼は、繰り返し説いた。急ぐな、と。続けることそのものが、最大の武器なのだ、と。
この生き方は、お金の話を超えている。お金を道具として冷静に扱い、無理をせず守りを固め、価値を見極め、時間をかけて複利で育てる――これは投資の作法であると同時に、不安定な時代を生き抜く人生の作法でもある。一日や一年では、大きな価値は生まれない。何年も、何十年も、同じ方向に積み重ねて、はじめて形になる。だから焦らなくていい。いや、焦ってはいけない。時間は、地道に積み上げる者の味方なのだから。邱永漢の名言が、流行に流されず読み継がれてきたのは、それが小手先のテクニックではなく、この「時間との付き合い方」を語っていたからだ。テクニックは古びる。だが、時間を味方につける知恵は、古びない。
振り返れば、彼が「金儲けの神様」と呼ばれたのは、相場を当てたからではなかった。むしろ、当てようとしないことを説いたからだ。お金を追わず、損を避け、お金を働かせ、そして何より、無理をせず長く続ける。この四つを、誰もが覚えられる短い言葉に込めて、生涯語り続けた。文学から経済へ渡った一人の男の波乱の人生は、そのまま、彼の哲学の証明になっている。すぐには報われない時期を、彼は何度もくぐり抜けた。そのたびに腰を据え、目の前を積み重ね、長い時間をかけて道を切り拓いた。
名言は、覚えるためにあるのではない。使うためにある。明日、市場で焦りそうになったとき。儲け話に飛びつきたくなったとき。前半の緩やかさに耐えきれず、雪だるまを止めたくなったとき。そのとき、彼の短い一行を思い出せばいい。お金を追いかけるな。お金が、あなたを追いかけてくるようにするのだ。無理をせず、時間を味方につけた者にだけ、その言葉は本当になる。
金を追いかけてはいけない。金のほうが、あなたを追いかけてくるようにするのだ。—— 金言
について邱永漢系列
邱永漢(きゅう・えいかん、1924—2012)。日本統治下の台湾・台南に生まれ、東京帝国大学経済学部を卒業。戦後の混乱の中で台湾を離れ、香港を経て日本に定住した。1955年、小説『香港』で第34回直木賞を受賞した作家でありながら、のちに株式・不動産・起業をめぐる膨大な著作と実践で「金儲けの神様」と呼ばれた。難しい理論を避け、誰もが覚えられる平易な言葉でお金と人生を語り続けたことで、世代を超えて読み継がれている。
查看邱永漢系列全投資ノート →本篇 1 の書き留めたい一節
- 金を追いかけてはいけない。金のほうが、あなたを追いかけてくるようにするのだ。—— 金言



