何が語られるか
台湾に生まれ、直木賞を受賞した作家でありながら、いつしか「金儲けの神様」と呼ばれた邱永漢。彼が語ったのは投資の必勝法ではなく、お金と仕事と人生をどうつなぐか、という一つの哲学だった。
「金儲けの神様」。生前、邱永漢にはそんな呼び名がついて回った。だが本人は、それを少しも誇りに思っていなかったふしがある。彼はもともと小説家だった。1955年、直木賞を受賞した、れっきとした文学者である。,東京帝国大学の経済学部を出て、戦後の混乱の中で財を成し、台湾を離れ、香港を経て日本へ渡る。作家として名を上げたあと、いつのまにか経済評論家になり、株式や不動産を語り、起業を指南し、最後にはアジア中にビジネスの種を蒔いていた。一人の人間の中に、これだけ違う顔が同居している例は珍しい。,この特集の前編では、その邱永漢が、お金と仕事と人生をどう結びつけて考えていたのかを、四つの章に分けて辿っていく。彼の言葉が今も古びないのは、テクニックを語らなかったからだ。彼が語ったのは、もっと手前にある「考え方」のほうだった。
誰が読むべきか
- 「お金を稼ぐこと」と「いい仕事をすること」を、対立ではなく一本の線として捉える発想を手に入れる
- 投資を一発勝負ではなく、長い時間をかけて事業を育てる営みの延長として見る視点を掴む
- 波乱の人生を生き抜いた一人の実業家から、不安定な時代に自分の足で立つための態度を学ぶ
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精読全文
第 1 章 · 直木賞作家が「金儲けの神様」と呼ばれるまで
「金儲けの神様」と聞いて、どんな人物を思い浮かべるだろうか。相場の天井と底を言い当てる予言者。難しい数式を操る金融マン。あるいは、ただ運がよかっただけの成り上がり。だが、邱永漢という人を知ると、そのどれもが当てはまらないことに気づく。彼はまず、小説家だったのだ。
1955年、邱永漢は小説『香港』で直木賞を受賞している。第34回。れっきとした文学賞である。台湾出身の人間が日本の大衆文学の最高峰の一つを受けたという、それ自体が当時としては異例の出来事だった。つまり、世間が「金儲けの神様」と呼ぶことになる男は、その出発点において、お金とはおよそ縁遠い世界の住人だったということになる。
ここで一つ、立ち止まって考えてみたい。なぜ、文学者が経済を語るようになったのか。そして、なぜその言葉が、これほど多くの人に信じられたのか。この前編で辿りたいのは、まさにそこだ。四つの章を通して、彼の人生の歩みと、その歩みの中から滲み出てきた「お金と仕事の哲学」を、順を追って見ていく。第一章では、その出発点――文学から経済へと渡っていった、彼の特異な来歴を。第二章では、彼がお金というものをどう捉えていたか。第三章では仕事と稼ぐことの関係。そして第四章では、なぜ彼が「長く続けること」にこだわったのか、という話だ。
邱永漢は1924年、日本統治下の台湾・台南に生まれた。父は台湾人、母は日本人。二つの言葉、二つの文化のあいだで育った彼は、やがて日本本土へ渡り、最高学府である東京帝国大学の経済学部に進む。経済を、まずは学問として学んだ人だった。これは見落としてはいけない点だ。彼の「金儲け論」は、ただの体験談ではない。土台に、きちんとした経済学の素養がある。
だが、彼の若い頃は決して順風満帆ではなかった戦争があり、敗戦があり、台湾の社会は大きく揺れた。彼は故郷を離れざるを得ず、香港へと逃れる。そこで彼が見たのは、何もないところから商売を立ち上げ、たくましく生きていく人々の姿だった。難民同然の境遇で、それでも金を稼ぎ、暮らしを立てていく――そのリアルな現場が、のちの彼の思想の原料になっていく。
やがて彼は日本に定住し、まず小説家として身を立てる。直木賞は、その努力が結実した証だった。しかし不思議なことに、文学的成功を手にした彼は、そこに留まらなかった。彼は次第に、経済や商売についての文章を書き始める。株はどう動くのか。土地の値段はなぜ上がるのか。商売で食べていくには何が要るのか。難しい専門用語を使わず、ふつうの人が読んで分かる言葉で、お金にまつわる現実を語っていった。
ここに、彼の最大の強みがあった。経済学の知識を持ち、香港で泥臭い商売の現場を見てきて、しかも小説家として「人に伝わる文章」を書く技術がある。この三つを兼ね備えた人間は、当時ほとんどいなかった。専門家の話は難しすぎて届かない。商売人の話は感覚的すぎて再現できない。その隙間に、邱永漢の言葉はぴたりと収まったのだ。
彼の本は売れた。次々と売れた。読者は気づけば彼を、相場や事業を語る「先生」として見るようになっていた。文学者が、いつのまにか経済の語り部になっていたのである。そして世間は、彼にあの呼び名を贈った――「金儲けの神様」。
だが、ここで一つの疑問が残る。本人は、その呼び名をどう感じていたのだろうか。そして彼が語った「お金」とは、いったいどういうものだったのか。次の章では、邱永漢が「お金」というものをどう見ていたのか――その独特の眼差しに踏み込んでいきたい。
第 2 章 · お金とは何か――道具であって、目的ではない
前章では、文学者だった邱永漢が、いかにして「金儲けの神様」と呼ばれるようになったかを辿った。経済学の素養、香港で見た商売の現場、そして人に伝わる文章。その三つが彼の言葉に説得力を与えていた。では、その彼が語った「お金」とは、いったい何だったのか。この章で考えたいのは、そこだ。
意外に思われるかもしれないが、邱永漢はお金そのものを崇拝した人ではなかった。「金儲けの神様」という呼び名とは裏腹に、彼の語り口には、お金を神聖視する響きがない。むしろ彼は、お金をきわめて冷静に、一つの「道具」として扱っていた。お金は、目的ではない。手段だ――この一点に、彼の考え方の芯がある。
道具である、とはどういうことか。たとえば包丁を考えてみればいい。包丁そのものに善悪はない。それで料理を作れば人を喜ばせ、扱いを誤れば自分の指を切る。お金もまったく同じだ、と彼は見ていた。お金があれば、選択肢が増える。やりたい仕事に挑め、家族を守れ、いざというときに踏ん張れる。だが、お金を貯めること自体を人生の目的にしてしまうと、人はかえって不自由になる。手段と目的が入れ替わってしまうからだ。
ここには、彼の苦い経験が影を落としている。前章で触れたように、彼は戦後の混乱の中で故郷を離れ、香港へ逃れた。財産も地人も、一夜にして意味を失いかねない時代を、彼は身をもって生きている。だからこそ彼は知っていた――お金は、それ自体では人を守りきれない、ということを。状況が変われば、紙きれ同然になることもある。本当に頼りになるのは、お金を生み出す「力」のほうだ。稼ぐ能力、見極める目、立ち直る根性。これらは奪われない。
だから邱永漢が読者に説いたのは、「いくら貯めたか」ではなかった。「お金を生み出す側に回れ」ということだった。給料をもらって少しずつ貯めるだけでは、人生はなかなか変わらない。それよりも、自分のお金を働かせる仕組みを作れ。事業でもいい、投資でもいい。お金が自分のために動いてくれる流れを、少しずつ太くしていけ――。これは、当時の日本では新しい発想だった。多くの人がまだ「倹約と貯金こそ美徳」と信じていた時代に、彼は「お金を働かせる」という別の地平を示したのである。
ただし、ここを誤解してはいけない。彼は「楽して大金を掴め」と煽ったのではない。むしろ逆だ。お金を働かせるには、世の中の仕組みを知らなければならない。何が値上がりし、何が廃れていくのか。人々が次に何を欲しがるのか。それを読むには、勉強がいる。観察がいる。彼の本がよく売れたのは、派手な必勝法ではなく、こうした地道な「世の中の読み方」を教えてくれたからだった。
そして、もう一つ大切な点がある。彼にとってお金は、人とつながるための道具でもあった。商売とは結局、誰かの困りごとを解決し、その対価を受け取る営みだ。だから、自分が儲けることばかり考えている人は、長くは続かない。相手にも得をさせる。喜んでもらう。その積み重ねの上に、はじめて安定した稼ぎが立つ。お金は、自分一人で抱え込むものではなく、世の中を巡らせてこそ価値を持つ――彼はそう考えていた。
お金は道具。目的は、その道具で何を成すか。この視点を持つと、不思議と気持ちが落ち着く。お金に振り回されるのではなく、こちらがお金を使う側に立てるからだ。では、そのお金を生み出す源である「仕事」を、彼はどう捉えていたのか。稼ぐことと、いい仕事をすることは、両立するのか、それとも引き裂かれるのか。次の章で、その核心に分け入っていきたい。
第 3 章 · 稼ぐことと、いい仕事をすること
前章で見たように、邱永漢はお金を「道具」として捉え、大事ななのはそれを生み出す力だと考えていた。では、その力の源である「仕事」を、彼はどう見ていたのか。お金を稼ぐことと、本当にいい仕事をすること。この二つは両立するのか――それが、この章の問いだ。
世の中には、根深い思い込みがある。お金を追えば仕事の質は下がる。いい仕事をしようと思えば儲けは二の次になる。稼ぐことと、誇りを持てる仕事は、どこかで引き裂かれている――。多くの人が、漠然とそう感じている。だが邱永漢は、この二つを対立させなかった。彼の中で、稼ぐことといい仕事をすることは、本来一本の線でつながっているものだった。
なぜそう言えるのか。彼の考えは、こうだ。商売とは、誰かの役に立った対価としてお金を受け取る行為である。つまり、たくさん稼げているということは、それだけ多くの人の役に立てている、ということの裏返しでもある。逆に、いくら立派なことを言っても、誰の役にも立てていなければ、お金は入ってこない。だから、まっとうに稼ぐことと、いい仕事をすることは、同じことの表と裏なのだ――。これが彼の基本的な見方だった。
もちろん、世の中には人を騙して儲ける手口もある。だが彼は、そうした稼ぎ方を一貫して退けた。理由は道徳論ではない。もっと現実的だ。人を欺いて得た稼ぎは、続かないからである。一度は騙せても、二度目はない。評判は落ち、客は離れ、いずれ立ち行かなくなる。長く稼ぎ続けようと思えば、結局のところ、相手に本当に喜んでもらうしかない。だから「いい仕事」は、道徳である前に、長く稼ぐための合理的な条件なのだ。彼の現実主義が、ここに表れている。
邱永漢自身、これを言葉だけでなく実践で示した人だった。彼は評論家であると同時に、自ら数多くの事業を手がけた実業家でもある。机上で「こうすれば儲かる」と説くだけでなく、実際に資金を投じ、人を雇い、失敗もし、また立ち上がった。だからこそ彼の言葉には、現場の手触りがあった。理屈をこねるだけの評論家とは、重みが違ったのである。
そして彼は、若い人にこう勧めた。仕事を選ぶとき、まず「自分が好きで、続けられること」を土台にせよ、と。一見、稼ぎの話とは関係なさそうに聞こえる。だが、ここにも彼らしい計算がある。好きでないことは、長くは続かない。続かなければ、上達もしない。上達しなければ、人の役に立つ水準には届かず、結局しっかり稼ぐこともできない。好き――続けられる――上達する――役に立つ――稼げる。この順番でつながっているのだ。好きを起点にするのは、甘えではなく、長く稼ぐための戦略だった。
ここで、投資の話を少しだけ重ねておきたい。彼にとって、株や事業に投資することも、この延長線上にあった。世の中の役に立っている会社、これから人々に必要とされていく仕事――そこにお金を置けば、長い目で見て報われる可能性が高い。一方、中身のない、人の役に立っていないものに群がっても、いずれ崩れる。だから投資も商売も、見るべきところは同じだ。「これは本当に人の役に立っているか」。その一点を問い続けることが、長く稼ぐための羅針盤になる。
稼ぐことと、いい仕事をすること。引き裂かれているように見えて、長い目で見れば、この二つは同じ方向を向いている。短期で見るから、対立して見えるだけなのだ。では、その「長い目で見る」という態度――邱永漢が最も大切にした時間の感覚を、最終章でじっくり掘り下げていこう。なぜ彼は、これほどまでに「長く続けること」にこだわったのだろうか。
第 4 章 · 長い時間を味方につける
前章では、稼ぐことといい仕事をすることが、長い目で見れば同じ方向を向いている、という邱永漢の見方を辿った。そこで鍵になったのが「長い目で見る」という言葉だ。この最終章では、彼が最も大切にした時間の感覚――なぜ「長く続けること」にこだわったのかを、掘り下げていきたい。
邱永漢の人生そのものが、長い時間との付き合い方を教えてくれる。彼は1924年に生まれ、2012年に世を去るまで、八十八年を生きた戦争があり、故郷を離れ、香港をさまよい、日本で作家として身を立て、評論家になり、実業家になり、晩年には中国大陸にまで事業の足場を広げた。一つの場所、一つの肩書きに留まらず、時代の変化に合わせて自分の形を変え続けた人生だった。だが、その変化の底には、変わらない一本の軸があった。「腰を据えて、長く続ける」という態度である。
彼はよく、慌てる人をたしなめた。すぐに結果を求めるな、と。株でも事業でも、一発で当てようとする人ほど、かえって損をする。なぜか。短い時間しか見ていないからだ。短期の値動きは、ほとんど運だ。誰にも読めない。だが時間の幅を長くとれば、話は変わる。本当に世の中の役に立つ仕事、本当に必要とされる会社は、時間が経つほどに価値を増していく。短期では運に振り回されるが、長期では実力が効いてくる。だから時間は、地道に積み上げる者の味方なのだ――これが、彼の確信だった。
ここで、彼が事業と投資を切り離さなかったことを思い出したい。彼にとって投資とは、相場を当てるゲームではなかった。優れた事業に長く付き合い、その成長を時間をかけて分かち合うこと。それが投資だった。だから、買ってすぐ売る、上がった下がったで一喜一憂する――そういうやり方とは、根本的に距離があった。いい事業を見つけたら、腰を据えて付き合う。その会社が世の中の役に立ち続けるかぎり、時間が利益を運んできてくれる。せっかちは、最大の敵だった。
この「長く続ける」という態度は、お金の話を超えて、人生の知恵でもある。前章までで見た彼の哲学を、もう一度つなぎ直してみよう。お金は道具であって目的ではない。稼ぐことといい仕事をすることは一本の線でつながっている。そして、その線を本当に意味のあるものにするのは、時間だ。一日や一年では、いい仕事も大きな価値も生まれない。何年も、何十年も、同じ方向に向かって積み上げて、はじめて形になる。だから邱永漢は、若い人にこう言い続けた。焦るな。腰を据えろ。続けることそのものが、最大の武器なのだ、と。
彼が「金儲けの神様」と呼ばれたのは、相場を当てたからではなかった。むしろ、当てようとしないことを説いたからだ。お金を冷静な道具として見つめ、いい仕事を積み重ね、長い時間を味方につける――この三つを、誰にでも分かる言葉で語り続けた。だからこそ、彼の言葉は流行に流されず、時代を超えて読み継がれてきた。テクニックは古びる。だが、考え方は古びない。彼が残したのは、まさにその「古びない考え方」だった。
振り返れば、文学から経済へ渡った一人の男の人生は、それ自体が彼の哲学の証明になっている。すぐには報われない時期を、彼は何度もくぐり抜けた。そのたびに腰を据え、目の前の仕事を積み重ね、長い時間をかけて道を切り拓いてきた。お金とは何か。仕事とは何か。そして、時間とどう付き合うか。邱永漢が遺したこの三つの問いは、不安定な時代を生きる私たちにこそ、静かに響いてくる。前編はここで一区切りとなる。お金を追いかけるのではなく、お金が追いかけてくる側に回る――その発想の転換こそ、彼が私たちに手渡した、いちばんの贈り物なのかもしれない。
金を追いかけてはいけない。金が、あなたを追いかけてくるようにするのだ。—— 金言
について邱永漢系列
邱永漢(きゅう・えいかん、1924—2012)。台湾・台南に生まれ、東京帝国大学経済学部を卒業。戦後、香港を経て日本に定住した。1955年、小説『香港』で第34回直木賞を受賞した作家でありながら、のちに株式・不動産・起業をめぐる膨大な著作と実践で知られ、「金儲けの神様」と呼ばれた。自ら多くの事業を手がけ、晩年は中国大陸にも進出。文学と経済、二つの世界を一身に生きた稀有な人物である。
查看邱永漢系列全投資ノート →本篇 1 の書き留めたい一節
- 金を追いかけてはいけない。金が、あなたを追いかけてくるようにするのだ。—— 金言



