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品質バリュー投資邱永漢系列
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流派 · 品質バリュー投資
巨匠 · 邱永漢系列
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一行で言うと 「金儲けの神様」と呼ばれた直木賞作家・邱永漢の言葉から、日本の個人投資家が長く実践できる投資の知恵を学ぶ

何が語られるか

「金儲けの神様」と呼ばれた直木賞作家・邱永漢の言葉から、日本の個人投資家が長く実践できる投資の知恵を学ぶ。

台湾に生まれ、戦後の日本で作家・実業家・投資家として生きた邱永漢は、「金儲けの神様」と呼ばれた。だが彼が説いたのは、一発逆転でも相場の先読みでもない。本業を持ちながら、生活者の目線で世の中を観察し、長く付き合える資産を腰を据えて持ち続ける——そんな地味で再現性のある投資だった。本unitでは、彼の思想を四つの角度から辿り、新NISA時代の私たちが自分の手で実践できる形に翻訳していく。

誰が読むべきか

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第 1 章 · 「金儲けの神様」が本当に教えたかったこと
知的男性ナレーター · 约 7 分
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精読全文

第 1 章 · 「金儲けの神様」が本当に教えたかったこと

「金儲けの神様」——日本の戦後を生きた人なら、この呼び名を聞いたことがあるかもしれない。その主は、邱永漢(きゅう・えいかん)という人物だ。台湾に生まれ、日本で直木賞作家になり、そして株や不動産で財を成した。お金の本を何十冊も書き、講演に人が押し寄せた。けれど——彼が本当に伝えたかったのは、一晩で倍にする秘術ではなかった。むしろ逆だ。地味で、退屈で、誰にでもできる。それでいて、ほとんどの人が続けられない。そういう投資の話だった。

このunitでは、彼の思想を四つの章で辿っていく。第1章では、まず彼がどんな人で、なぜその言葉が今も古びないのかを掴む。第2章では、本業を持ちながら資産を育てる「両立」の発想を。第3章では、難しい指標の前にまず使うべき「生活者の目線」という武器を。そして第4章で、長期・分散・積立という型が、新NISAの時代をどう生きる私たちの羅針盤になるのかを見届ける。専門用語は最小限でいい。大事なのは、読み終えたあなたが「これなら自分にもできそうだ」と思えることだ。

まず人物から。邱永漢は1924年、台湾の台南に生まれた。当時の台湾は日本の統治下にあり、彼は日本語で教育を受けて育つ。成績は抜群で、海を渡って東京帝国大学——今の東京大学——の経済学部に進んだ。経済を学んだ青年は、しかし戦後の混乱の中で苦労を重ね、香港へ渡り、密貿易すれすれの商売も経験したという。その体験が、のちに小説『香港』として結実する。そして1955年、彼はこの作品で直木賞を受賞した。作家・邱永漢の誕生である。

ここで立ち止まってほしい。直木賞作家が、なぜ「金儲けの神様」になったのか。理由は単純だ。彼は文章が書けるうえに、実際にお金を増やしていたからだ。机上の評論家ではない。自分の財布で株を買い、土地を買い、事業を起こし、その損も得も身銭を切って味わった人だった。だからこそ、彼のお金の話には体温があった。読者は「この人は本当にやっている」と感じ、その言葉を信じた。

では、彼の言葉のどこが特別だったのか。一つは、お金を語ることを恥としなかった点だ。当時の日本では、お金の話を露骨にするのは品がない、という空気が強かった。汗水流して働くのが美徳で、投資で増やすなんて——という目で見られた。邱永漢はそこに正面から切り込んだ。お金は人生の選択肢を増やす道具だ。きちんと向き合い、計画的に増やすことは、決して卑しいことではない——と。生活者の側に立って、堂々とお金を語る。それだけで、多くの人が救われた。

もう一つ、彼の核心にあったのは「本業を捨てるな」という戒めだった。これは投資の本を書く人としては、いささか意外に響くかもしれない。普通なら「会社を辞めて専業投資家になろう」と煽る方が本は売れる。だが彼はその逆を説いた。あなたには仕事がある。給料がある。その安定した足場があるからこそ、投資という冒険に出られるのだ、と。足場を捨てて全財産を相場に賭ける——それは投資ではなく、賭博だ。彼はその違いをはっきり分けていた。

そして、彼が繰り返し語ったのが「世の中をよく見ろ」という一言だった。難しい財務諸表を読む前に、まず街を歩け。どんな店に行列ができているか。人々が何にお金を使い始めたか。自分や家族が、最近どんな新しいものを買ったか。その小さな観察の積み重ねの中に、次に伸びる会社のヒントが隠れている——彼はそう信じていた。専門家だけが知る秘密の情報ではなく、生活者なら誰でも触れられる日常の中にこそ、投資の種がある。これは後の章でじっくり掘り下げる、彼の真骨頂だ。

ここで一つ、彼の時代背景にも触れておきたい。邱永漢が活躍したのは、戦後の焼け跡から日本が立ち上がり、やがて高度経済成長へと駆け上がっていく時代だった。人々の暮らしは年ごとに変わり、新しい家電が普及し、街には新しい店が次々と生まれた。世の中が目に見えて動いていく——その変化の渦の中で、彼は「今、何が伸びているか」を生活の手触りで掴むことの大切さを、身をもって学んでいったのだ。そして彼が偉かったのは、その知恵を独り占めしなかったことだ。本に書き、講演で語り、普通のサラリーマンや主婦にまで、お金との付き合い方を惜しみなく開いてみせた。だからこそ「神様」と慕われた。彼の言葉が今も古びないのは、扱っているのが流行りの銘柄ではなく、人間とお金の変わらない関係そのものだからだ。

振り返れば、邱永漢が説いたのは、特別な才能のある人だけの話ではなかった。本業を大切にし、生活の中で世の中を観察し、増やしたお金で人生の選択肢を広げる——働きながら、地に足をつけて豊かになる道。それは派手さこそないが、だからこそ多くの普通の人に開かれていた。

さて、ここで一つ問いを置いておきたい。彼が「本業を捨てるな」とまで言ったのは、なぜなのか。安定した給料があると、投資において具体的なに何が変わるのか——次の章では、その「両立」の力学を解いていこう。

第 2 章 · 本業を捨てるな——「両立」が投資を強くする

前章では、邱永漢が「金儲けの神様」と呼ばれながら、実は地味で再現性のある投資を説いた人だったことを見た。中でも意外だったのが、「本業を捨てるな」という戒めだ。専業投資家になれと煽るのではなく仕事を続けながら資産を育てよ——なぜ彼はそう言い切ったのか。この章では、その「両立」の発想を解きほぐしていく。

まず、給料という存在の正体を考えてみよう。毎月決まった日に振り込まれるお金。当たり前すぎて、その価値を見落としがちだ。だが投資の視点で眺め直すと、給料は途方もなく強力な武器になる。なぜか。第一に、それは相場の上下とは無関係に入ってくるからだ。株価が暴落した月も、世界が不安に沈んだ月も、あなたの口座には給料が振り込まれる。この「相場と相関しない収入」があることで、あなたは決定的な自由を手に入れる——売らなくていい、という自由だ。

ここが核心だ。投資で最も大きな失敗は、たいてい「底値で売ってしまうこと」で起きる。暴落が来る。資産が目減りする。怖くなる。そして耐えきれずに、いちばん安いところで手放してしまう。なぜ売るのか。多くの場合、生活のためにお金が必要だからだ。だが——もし毎月の給料で生活が回っているなら? あなたは慌てて売る必要がない。嵐が過ぎるまで、ただ持ち続けていられる。相場は長い目で見れば回復してきた。問題は、回復するまで持ちこたえられるかどうか。本業という収入源は、その「持ちこたえる力」を根っこから支えてくれる。

第二に、給料は投資の「燃料」を絶え間なく供給してくれる。一度まとまったお金を投じて終わり、ではない。毎月の収入の一部を、規則正しく投資に回していく。相場が高い月もあれば、安い月もある。安い月には、同じ金額でより多くの株や投資信託の口数を買える。これを淡々と続けるだけで、買値が自然とならされていく——いわゆる「ドルコスト平均法」と呼ばれる効果だ。本業の給料があるからこそ、この積立を何年も、何十年も止めずに続けられる。投資の世界では、続けられること自体が大きな才能なのだ。

第三に、これは見落とされがちだが——本業そのものが、最高の情報源になる。あなたが働いている業界のことを、あなたは外部の評論家より深く知っている。どの会社の製品が現場で評価されているか。どんな技術が次に来そうか。どの取引先が伸びていて、どこが苦しんでいるか。邱永漢は、こうした「働く中で自然に得られる知識」を軽んじてはいけないと考えた。あなたの仕事は、給料をくれるだけでなく、世の中の動きを内側から見せてくれる窓でもあるのだ。

もちろん、これは「自分の勤め先の株だけ買え」という意味ではない。一つの会社に収入も資産も集中させるのは、むしろ危険だ。会社が傾けば、職も資産も同時に失いかねない。ここでも分散の発想が効いてくる。本業から得た「業界を見る目」を活かしつつ、投資先は本業とは別の領域にも広げておく。収入の柱と資産の柱を、別々に立てておく——これが賢いバランスだ。

では、両立は具体的なにどう設計すればいいのか。邱永漢の考え方を今の言葉に翻訳すると、こうなる。まず、生活費は本業の給料でまかなう。次に、毎月いくらを投資に回すかをあらかじめ決め、それを「最初に取り分ける」。残ったお金で暮らす。投資に回したお金は、当面使わないお金だと割り切る。そして相場が荒れても、生活が給料で守られている限り、慌てて手放さない。地味だろうか。だが、この地味な設計こそが、長く続けられる投資の骨格になる。

専業投資家になれば自由だ、というイメージがある。だが現実は逆かもしれない。本業を失えば、毎月の生活費を相場から捻出しなければならなくなる。すると、下げ相場でも売って現金を作る必要が生じ、いちばん不利なタイミングで手放す羽目になる。安定した給料を手放すことは、「待つ力」を手放すことなのだ。邱永漢が「本業を捨てるな」と言ったのは、根性論ではなく、極めて合理的な投資戦略だった。

本業は足かせではない。むしろ、投資という長い航海を支える錨(いかり)だ。給料が生活を守り、待つ力をくれ、燃料を供給し、世の中を見る窓にもなる——働きながら投資するからこそ、腰を据えて続けられる。

さて、本業が「足場」と「窓」になるという話をした。ではその窓から、私たちは具体的なに何を見ればいいのか。財務諸表? 経済ニュース? いや、邱永漢がまず見ろと言ったのは、もっと身近なものだった——次章では、彼の真骨頂「生活者の目線」に踏み込もう。

第 3 章 · 財布と行列を見よ——生活者の目線という武器

前章では、本業が投資の「足場」であると同時に、世の中を見る「窓」にもなることを確かめた。では、その窓から何を見ればいいのか。難解な財務分析だろうか。世界経済の予測だろうか。邱永漢の答えは、もっと拍子抜けするほど身近だった。まず——自分の財布と、街の行列を見ろ、と。この章では、彼が最も得意とした「生活者の目線」という武器を手にしていこう。

邱永漢の発想の根っこには、シンプルな確信があった。経済とは、結局のところ、無数の人々が「何にお金を使うか」の総和にすぎない。だとすれば、その流れを最も早く、最も正直に感じ取れるのは、難しい統計ではなく、自分自身の生活なのだ。あなたが最近、思わず財布を開いてしまったもの。家族が夢中になっているサービス。気づけば毎月払っている料金。そこには、世の中のお金の流れの最前線が映っている。

行列を例に考えてみよう。ある店の前に、いつ通っても人が並んでいる。多くの人は「人気だな」で通り過ぎる。だが投資家の目線で見ると、行列は一つの問いを突きつけてくる——なぜ人々は、時間を犠牲にしてまでここに並ぶのか。その商品やサービスに、それだけの価値を感じているからだ。そしてもし、その価値が一時の流行ではなく、人々の生活に根を張りつつあるなら? その背後にある会社は、これから長く稼ぎ続けるかもしれない。行列は、消費者が財布で投じた「票」の集積であり、業績という数字になる前の、生きた予兆なのだ。

ここで大切なのは、順番だ。邱永漢は、難しい指標を否定したわけではない。PER(株価収益率)やPBR(株価純資産倍率)、ROE(自己資本利益率)——こうした指標は、会社の良し悪しを測る大切な物差しだ。だが彼が言いたかったのは、その物差しを当てる「対象」を、生活者の感覚で先に見つけておけ、ということだった。世の中には星の数ほど会社がある。全部の財務諸表を読むことなどできない。だからまず、生活の中で「これは伸びそうだ」と肌で感じた候補を絞り込む。そのうえで、本当に中身が伴っているかを指標で確かめる。生活者の直感が網を投げ、指標がその獲物を吟味する。この二段構えが、個人投資家の現実的な戦い方だ。

なぜ生活者の目線が、それほど強い武器になるのか。理由は、あなたが「現場」にいるからだ。プロのアナリストは、企業の決算説明会に出て、過去の数字を分析する。だが彼らも、あなたが毎日コンビニで何を手に取るか、子どもが何をねだるか、職場の同僚が何に夢中かを、リアルタイムで全て知ることはできない。変化の最初の兆しは、いつだって統計に現れる前に、人々の暮らしの中で起きる。生活者であるあなたは、その兆しに誰よりも早く触れられる人置にいる。問題は、その触れた情報を「投資の視点で」捉え直す習慣があるかどうか、それだけだ。

ただし、ここには大きな落とし穴もある。「好きだから」と「儲かるから」は、別物だということだ。あなたがある商品を愛用しているのと、その会社の株が投資対象として優れているのとは、必ずしも一致しない。素晴らしい商品でも、すでに株価が割高なら、買った後に下がるかもしれない。逆に、あなたが個人的に好きでなくても、世の中の多くの人が必要としている地味な会社の方が、堅実に稼ぎ続けることもある。生活者の目線は「候補を見つける」ためのもの。それを「買う理由」にすり替えてはいけない。観察と判断は、分けて持つ。これが規律だ。

もう一つ、邱永漢の観察眼で見落とせないのが、「自分が払っているお金」への意識だ。毎月、気づかぬうちに引き落とされている定額サービス。当たり前になって意識すらしなくなった支出。それは裏を返せば、その会社が「安定して、繰り返し、お金を受け取り続けている」ということだ。投資の世界で、繰り返し入ってくる収益ほど価値が高いものはない。自分の家計簿は、優良企業の名簿でもある。支出を見直すことは、節約であると同時に、投資先探しでもあるのだ。

振り返ろう。財務諸表を開く前に、街を歩き、財布を見る。行列の理由を問い、自分の支出に目を凝らす。そうやって生活の中から候補を拾い上げ、その後で指標を使って中身を確かめる——好きと儲かるを混同せず、観察と判断を分けながら。これが、専門家でない私たちにこそ開かれた、現実的な投資の入口だ。

ここまでで、私たちは三つの武器を手にした。本業という足場。両立という設計。そして生活者の目線。だが、有望な候補を見つけたとして——いつ買い、どれだけ持ち、いつまで待てばいいのか。最後の章では、これらを一本の型にまとめ、新NISAという今の時代に、どう実践していくかを見届けよう。

第 4 章 · 長期・分散・積立——新NISA時代への羅針盤

前章までで、私たちは三つの武器を手にした。本業という足場、その上での両立という設計、そして生活者の目線という観察眼だ。だが、有望な候補を見つけても、いつ買い、どれだけ持ち、いつまで待つのか——その実践の型がなければ、知恵は宝の持ち腐れになる。最終章では、邱永漢が説いた「長期・分散・積立」という三本柱を組み上げ、それを新NISAという今の時代に、どう自分の手で動かすかを見届けよう。

まず「長期」から。邱永漢が時間を味方につけよと説いたのは、それが個人投資家に残された、ほとんど唯一にして最大の武器だからだ。プロは情報の速さで勝負する。一日の値動きを追い、秒単人で売買する。その土俵で素人が戦っても、勝ち目は薄い。だが——時間という土俵なら話は別だ。十年、二十年という長さは、プロも素人も平等に与えられている。むしろ、毎日の値動きに一喜一憂しなくていい個人の方が、どっしり構えていられる。優れた会社や市場全体は、短期では激しく揺れても、長い目で見れば成長とともに価値を積み上げてきた。その積み上がりを丸ごと受け取るには、ただ持ち続けるしかない。時間を味方につける——これが第一の柱だ。

次に「分散」。前章で「好きと儲かるは別」と言ったが、もっと根本的な真実がある。どんなに賢い人でも、未来は当てられない。あなたが完璧だと思った一社が、ある日、予期せぬ事故や不正で崩れ落ちることがある。だからこそ、一つの会社、一つの国、一つの資産に全てを賭けてはいけない。複数の対象に散らしておけば、どれか一つが転んでも、全体は致命傷を負わずに済む。これは臆病ではなく、未来が読めないという現実を直視した、賢い守りだ。今の時代、世界中の株式に丸ごと分散できる投資信託が、ごく低い手数料で手に入る。邱永漢の時代には難しかった「広い分散」が、いまや誰の手にも届く。

そして「積立」。前々章で見た両立の設計を、行動に落とし込んだものがこれだ。毎月、決まった額を、相場が高かろうが安かろうが、機械的に投じ続ける。なぜ機械的にやるのか。人間の感情こそが、投資最大の敵だからだ。相場が上がれば欲が出て高値で買いたくなり、下がれば怖くなって安値で投げたくなる。この感情の波が、私たちに「高く買って安く売る」という最悪の行動を取らせる。積立は、その判断を最初から放棄してしまう仕組みだ。考えない、感じない、ただ続ける。皮肉なことに、人間の弱さを認めて自動化することが、最も賢い戦略になる。

さて、この三本柱が、いま驚くほどぴたりと重なる制度がある。2024年に始まった新しいNISA(少額投資非課税制度)だ。NISAとは、本来かかる約二割の運用益への税金が、一定の枠の中では非課税になる仕組み。新NISAでは非課税で投資できる枠が大きく広がり、しかも一度使った枠が将来にわたってずっと非課税のまま使える、恒久的な制度になった。特につみたて投資枠は、金融庁が選んだ、長期・分散・積立に適した投資信託に対象が絞られている。つまり国が、邱永漢が説いたのと同じ型——コツコツ、広く、長く——を、税の優遇で後押しする設計になっているのだ。

ここで、邱永漢の思想と新NISAを一本につないでみよう。本業の給料から、毎月いくらと決めてつみたて投資枠に回す(両立と積立)。投資先は、世界中に広く分散された低コストの投資信託を軸に据える(分散)。そして、相場が荒れても給料が生活を守ってくれるから、慌てて売らずに何十年も持ち続ける(長期)。生活者の目線で気づいた個別の有望株があれば、それは成長投資枠の方で、全体のバランスを崩さない範囲で楽しむ。——彼が半世紀以上前に語った地味な知恵が、最新の制度の上で、そのまま動き出す。

もちろん、忘れてはならないことがある。非課税という言葉は魅力的だが、それは「得をする保証」ではない。投資である以上、値下がりのリスクは消えない。新NISAは、あくまで長く正しく続ける人の追い風であって、一発逆転の魔法ではない。ここでも邱永漢の戒めが効いてくる。生活を投資に賭けるな。本業を捨てるな。当面使わないお金で、腰を据えて続けよ——制度がどれだけ進化しても、この土台は変わらない。

振り返れば、私たちは四つの章を旅してきた。「金儲けの神様」が本当に説いたのは地味な再現性であること。本業という足場が待つ力をくれること。生活者の目線が候補を照らすこと。そして長期・分散・積立という型が、新NISA時代の羅針盤になること。四つはバラバラの教えではない。働きながら、生活の中で世の中を見つめ、未来は読めないと認めたうえで、時間を味方につけてコツコツ続ける——一つの一貫した生き方として、つながっている。派手な才能はいらない。必要なのは、地味なことを長く続ける覚悟だけだ。邱永漢が「神様」と呼ばれた本当の理由は、奇跡を起こしたからではない。誰にでもできる凡事を、誰よりも長く、淡々と続けてみせたからだ。その背中が、いま新NISAという追い風の中を歩き出すあなたに、静かに道を示している。

金を儲けるのに、特別な才能はいらない。いるのは、当たり前のことを、誰よりも長く続ける辛抱だけだ。—— 金言

について邱永漢系列

邱永漢系列

邱永漢(きゅう・えいかん、1924-2012)。台湾・台南生まれ。東京帝国大学経済学部を卒業し、1955年に小説『香港』で直木賞を受賞した作家であると同時に、株式投資・不動産・事業経営で財を成した実業家。お金にまつわる多数の著作で「金儲けの神様」と呼ばれ、戦後の日本人に資産形成と生活設計の考え方を広く伝えた。

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