何が語られるか
1968年、ウォール街がこぞって日本を見限っていたとき、テンプルトンはファンドの60%を日本につぎ込んだ。その一手は、のちに10倍になった。
一九六八年、ニューヨークのファンドマネージャーたちが東京証券取引所を口にするときの語り口は、まるで田舎の市場の話でもするようだった。日本株のPERは5倍に満たない。それでも誰も好機とは思わなかった。みんなにとって日本は、適切が知れず、遅れていて、まともに相手にする価値のない場所だったのだ。だが、ジョン・テンプルトンは買った。様子見の小さな建玉ではない。ファンドの6割以上の資金を、そこに賭けた。彼は太平洋を飛び越え、工場に足を運び、日本語の財務諸表をめくり、誰もが嫌がる場所で、偏見が押し下げた割安を見抜いた。これは「目利き」の物語ではない。理解でき、学べる一つの論理の物語だ——なぜ他人の嫌悪が、そのままあなたの安全マージンになるのか。
誰が読むべきか
- 「極端な割安」と「極端な割高」のあいだに広がる、意思決定の一連の流れがどんな姿をしているのかを見抜く
- 国や地域という単人の市場の偏見が、どのようにして体系的なな割安を生み出すのかを理解する
- 本物の歴史的事例を手元に置いて、「逆張り投資」についての自分の直感と思い込みを校正する
试聴く第一章音声解説
精読全文
第 1 章 · テンプルトン、1968年の日本全力買い
ウォール街がこぞって日本を見限ったとき、彼はファンドの60%をつぎ込んだ
1968年、日本株をまともに語ろうとするウォール街の主流機関は、ただの一つもなかった。
あのころ、メイド・イン・ジャパンといえば、安物のラジオと、すぐ錆びるバイクのことだった。ニューヨークのファンドマネージャーたちが東京証券取引所を口にするときの調子は、田舎の市場の話でもするようなものだった。市場全体のPERは5倍に届かない。5倍だ。これはつまり、ある会社を買えば、たとえその会社が今後いっさい成長をやめ、利益をそっくりそのまま配当に回しただけでも、20年とかからずに元が取れるということだ。
ジョン・テンプルトンはそのとき、同業者から見ればほとんど正気の沙汰ではないことをすでにやっていた。ファンドの建玉の60%超を、日本に賭けていたのだ。
疑いの声がなかったわけではない。顧客は彼に尋ねた。日本企業の財務諸表など、信じられるのか、と。彼はこう答えた——自分の足で行ってきた、と。飛行機で太平洋を越え、工場に足を踏み入れ、経営陣と並んで茶を飲み、貸借対照表をめくった。そこに彼が見たのは、遅れた経済などではなかった。PER4倍、帳簿には実質無借金のキャッシュ、規律ある働き手を抱えた企業の群れだった。これらの会社が世界中の資金から嫌われていたのは、ただ一点、見知らぬ場所にあったからにすぎない。
テンプルトンはのちに、この経験をあの有名な一言にまとめた。「最大の悲観のときこそ、最大の好機がある。」この言葉はその後、数えきれない投資書の扉ページに刷り込まれた。だが人はしばしば忘れる。それは書斎でひねり出した格言ではなく、一枚の航空券と、一束の日本語の財務諸表と、誰もが弱気のなかで買い注文にサインした一つの決断から生まれたものだということを。
それからの20年で、日本株のPERは5倍から30倍超へと上がった。株価は30倍を超えて上昇した。テンプルトンのポートフォリオもそれにつれて膨らみ、彼のファンドはこの間、ほとんどすべての同種の商品を上回った。
だが、この物語の本当に見事なところは、1980年代の末に起きる。
東京の地価は、もはや常軌を逸した水準まで上がっていた。皇居まわりのあのわずかな土地の理論上の価値が、カリフォルニア州まるごと一つに等しい——そう計算した者もいた。日本株のPERは60倍を突破し、世界中の資金がなだれ込んだ。昨日まで日本を見下していたウォール街の機関が、こぞって日本をテーマにしたファンドを売り出しはじめた。タクシーの運転手が株の話をしていた。雑誌の表紙は、日経平均がさらにもう一段、倍になると予想していた。
テンプルトンは、まさにこのときに手じまいした。
1990年にバブルが弾けると予測したからではない。彼の論理は、はじめから至ってシンプルだったからだ。「極端な割安」で買い、「極端な割高」で売る。PER60倍の日本株は、もはや当時の彼が買った理由そのものではなくなっていた。彼は30倍のリターンを手にし、残ったリスクを、あとから来た者たちに残していった。
彼はもう一つ、同じくらい耳の痛い言葉も残している。「隣人と同じ持ち高で、彼を上回ろうなどとは望めない。」
1968年、日本株を持っている隣人など一人もいなかった。それこそが、彼が買った理由だった。1989年、隣人たちは皆こぞって日本株を奪い合っていた。それこそが、彼が場を去った理由だった。論理は首尾一貫して、まるで一問の数学のように、きれいに繋がっている。
テンプルトンの日本での取引は、のちに「グローバル逆張り投資」の出発点と呼ばれるようになった。彼はこう証明してみせた——市場の偏見は、業種や個別銘柄のあいだだけにあるのではない。国や地域のあいだにも存在するのだ、と。一つの国まるごとが主流の資金から「研究する価値もない」というレッテルを貼られるとき、そのレッテルそのものが、割安の源になる。
そして割安こそが、安全マージンのもっとも揺るぎない土台なのだ。
PERが極端に低く、しかしファンダメンタルズが堅い市場では、「嫌われていること」そのものが割安の源になる。自分の足で確かめよ——現地に赴いて財務諸表をめくるほうが、二次情報のレポートを眺めるより、誤解された資産をずっと見つけやすい。—— 投資からの示唆
編集部について
ジョン・テンプルトンは、二十世紀でもっとも重要なグローバル・バリュー投資家の一人であり、世界中で見過ごされた資産を探し当てることで知られる。彼が立ち上げたテンプルトン・グロース・ファンドは、数十年にわたって市場を上回り続け、一九九二年には『マネー』誌から「世紀最高の銘柄選択者」と評された。日本市場への大量の資金投入は、グローバルな逆張り投資の実践のなかでもっとも多く引用される実例であり、いまなお「市場の偏見がいかに価格をつけるか」を理解するための、投資教育の古典的な題材であり続けている。本書は編集部がこの歴史を軸に編んだもので、テンプルトンが買い入れ、そして手じまいするまでの思考の道筋を丸ごとたどり直す。市場の感情がふたたび極端へ振れる今日にあって、読むほどに生々しく現実味を帯びてくる。
查看編集部全投資ノート →本篇 1 の書き留めたい一節
- PERが極端に低く、しかしファンダメンタルズが堅い市場では、「嫌われていること」そのものが割安の源になる。自分の足で確かめよ——現地に赴いて財務諸表をめくるほうが、二次情報のレポートを眺めるより、誤解された資産をずっと見つけやすい。—— 投資からの示唆



