何が語られるか
アメリカの投資家が日本を「敗戦した貧しい国」と見ていたとき、彼はこの市場へ巨額を投じた。その後の十年で、リターンは10倍を超えた。
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第 1 章 · テンプルトン、1960年代に日本株を大量買い——焼け跡に戦後復興を賭ける
アメリカの投資家が日本を「敗戦した貧しい国」と見ていたとき、彼はこの市場へ巨額を投じた。その後の十年で、リターンは10倍を超えた。
1962年、あるアメリカのファンドマネジャーが、敗戦国の株式市場に資産の60%以上を賭けた。同業者たちは陰でささやいた——あの男は、頭がどうかしたのではないか、と。
あの時代のウォール街にとって、日本は投資先ではなかった。歴史の中の固有名詞だった。第二次世界大戦が終わってまだ二十年も経っていない。広島と長崎の焼け跡は、多くの人の記憶になお生々しく残っていた。アメリカの投資家が日本と聞いて思い浮かべるのは、安物のおもちゃと粗悪な繊維製品であって、本物の資金を託すに値する資本市場などではなかった。多くの機関は、東京の取引所の株価を取り寄せることすら面倒がった。
ジョン・テンプルトンは、そうは見なかった。
彼の発想はいつも、「この国はいずれ良くなる」といった漠然とした楽観ではなかった。一枚一枚のバランスシートから始まる。1950年代の終わり、彼は日本の上場企業の財務データを体系的なに調べ始めた。あの時代に、ブルームバーグの端末はない。電子データベースもない。彼が頼ったのは、人に頼んで東京から持ち帰ってもらった紙の年次報告書であり、現地のアナリストを雇って財務注記を一ページずつ翻訳させることだった。情報を得るコストは、ばかげているほど高かった。だが、まさにそのために、そのコストを払おうとする者は、ほとんどいなかった。
数字が出てきたとき、彼は自分の目を疑った。
日本の鉄鋼企業のPER、4倍。繊維会社、5倍。一部の電機メーカーは、それよりさらに低かった。同じころ、アメリカの同業企業のPERは、おおむね15倍を超えていた。同じだけ稼ぐ力を持ちながら、日本企業の値づけはアメリカの同業の三分の一、いや、それ以下でしかなかった。これは、ちょっとした割安などではない。一つの国まるごとに対する、市場の組織的な無視だった。
テンプルトンは、いちばん単純な問いを立てた。なぜだ?
答えは、これらの企業のファンダメンタルズに問題があるからではなかった。誰も見ていないからだった。情報の壁、言葉の壁、戦後の偏見。三つの壁が重なり合って、西側の資本のほとんどを門前で締め出していた。偏見が割安をつくり、割安が機会をつくる。これこそ、彼が生涯にわたって繰り返し実践した論理だった——人が恐れ、あるいは見向きもしない場所で、誤って値づけされた資産を探す。
彼は買い始めた。様子見で少しだけ、ではない。大量に、である。1962年ごろには、テンプルトン・グロース・ファンドの日本株への配分比率は、ファンド総資産の60%を超えていた。この数字は、今ならコンプライアンス部門の心臓を止めにかかる。あの時代のアメリカのファンド業界にあっては、ほとんど前代未聞の集中度だった。
保有者から不満は出たか。出た。同業からの疑問は。当然あった。だが、テンプルトンの肝の据わりようは、彼自身がやってきた下調べに支えられていた。彼は日本が「たぶん」復興するほうに賭けていたのではない。きわめて安い値段で投げ売りされている、本物の収益資産を買い込んだうえで、市場がその価値を再発見するのを待っていたのだ。
待つ時間は、多くの人が耐えられるよりも、ずっと長かった。
日本経済の離陸は、一夜にして起こったわけではない。1960年代を通じて、成長はゆっくりと、しかし着実に積み上がっていった。鉄鋼の生産量が増え、輸出が広がり、ソニーやホンダといった名前が、アメリカの消費者の暮らしの中に現れ始めた。それと同時に、テンプルトンの日本株は、帳簿の上で静かに値を上げ、複利の歯車が一目盛り、また一目盛りとかみ合っていった。
本当の爆発は、1970年代にやってきた。まる十年あまり持ち続けたすえ、PER4倍から5倍で買い込んだこの株式は、10倍を超えるリターンをもたらした。年率10%ではない。トータルのリターンが10倍を超えたのだ。年率に換算すれば——レバレッジもデリバティブもない、純粋な株式の保有でこの数字は、どの世代の投資家であっても、思わず目を見張る水準だった。
のちに、ある人がテンプルトンに尋ねた。日本への賭けで、いちばん難しかったのは何でしたか、と。彼の答えは、意外なものだった。研究ではない。言葉でもない。情報を集めることでもない。いちばん難しかったのは、「誰も自分に同意してくれないときに、自分の判断を持ちこたえること」だった。
この一言は、何度も噛みしめる価値がある。逆張りの投資は、理屈の上では誰もが分かっている。だが実践となると、本当にやり遂げられる者はほとんどいない。なぜなら、逆を行くということは、孤独を意味するからだ。かなり長いあいだ、自分が間違っているように見えることを意味するからだ。保有者は解約していく。同業は嘲笑する。メディアは沈黙する。この時間を持ちこたえられる者は、気にしていないからそうできるのではない。彼らの判断には、十分に確かなファンダメンタルズという錨があるからだ。
テンプルトンの錨は、PER4倍という、本物の収益だった。
この事例には、もう一つ注目に値する点がある。彼はこの投資を、情報が極端に乏しい条件のもとでやってのけた。アナリストの説明会もない。現地調査の便宜もない。突き合わせて検証できる証券会社のレポートもない。彼が頼れたのは、生の財務データと、自分自身の判断の枠組みだけだった。これはまさに、本当の投資の優人が、情報の量から生まれるのではないことを物語っている。情報をどう読み解くか、そのやり方から生まれるのだ。誰もが「よく知らないから」とある市場を避けるとき、その回避そのものが、一つの値づけの誤りになる。
六十年が経ったいまも、この投資は、バリュー投資の歴史の中で最も多く引かれる、国境をまたいだ逆張りの事例の一つであり続けている。それは、日本がその後どれほど偉大になったからではない。誰の目にも見えていなかったときに、テンプルトンが数字をはっきりと見ていたからだ。
焼け跡に、機会が足りなかったことなど一度もない。足りないのは、腰をかがめてそれを見ようとする人なのだ。
極端に低いバリュエーションそれ自体が、安全マージンになる。ある市場で優良企業のPERが5倍を割っているなら、まず問うべきは「なぜ買うのか」ではなく「なぜ誰も買わないのか」だ。偏見が生んだ割安は、ファンダメンタルズの悪化よりも、ずっと修復されやすい。—— 投資からの示唆
本篇 1 の書き留めたい一節
- 極端に低いバリュエーションそれ自体が、安全マージンになる。ある市場で優良企業のPERが5倍を割っているなら、まず問うべきは「なぜ買うのか」ではなく「なぜ誰も買わないのか」だ。偏見が生んだ割安は、ファンダメンタルズの悪化よりも、ずっと修復されやすい。—— 投資からの示唆



