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スタインハートのイタリア・リラ売り――ソロスと同じ戦場で挑んだ欧州通貨危機の大勝負

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一行で言うと 同じ危機で、彼のリターンはソロスを上回った

何が語られるか

同じ危機で、彼のリターンはソロスを上回った。それなのに、ほとんど誰も知らない

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第 1 章 · スタインハートのイタリア・リラ売り――ソロスと同じ戦場で挑んだ欧州通貨危機の大勝負
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第 1 章 · スタインハートのイタリア・リラ売り――ソロスと同じ戦場で挑んだ欧州通貨危機の大勝負

同じ危機で、彼のリターンはソロスを上回った。それなのに、ほとんど誰も知らない。

1992年9月16日の深夜。世界中がソロスの「イングランド銀行を打ち負かした」という快挙に沸いていたそのとき、マイケル・スタインハートはニューヨークのオフィスで、別の通貨の崩壊カーブを見つめていた――イタリア・リラだ。

この年、スタインハート・パートナーズの通年リターンは50%を超えた。ソロスのクォンタム・ファンドはおよそ30%。同じ危機、同じ戦場で、スタインハートの収益はソロスのほぼ二倍だった。だが、歴史が覚えているのはソロスだけだ。

このコントラストそのものが、ひとつの教訓になっている。

話は1979年にさかのぼる。欧州為替相場メカニズム、英語の略称でERMは、欧州各国が通貨統合を進めるために築いた固定相場の枠組みだった。加盟各国の通貨は、ドイツ・マルクとの取り決めレートを中心に上下2.25%という狭い幅の中でしか動けない。狙いは安定だった。だが、この設計には致命的な矛盾が組み込まれていた。経済の体力がまるで違う国々が、同じ一本の為替の鎖に無理やりつながれていたのだ。

1990年、東西ドイツが統一する。東ドイツ経済を吸収するため、ドイツは大幅に金利を引き上げ、資本を呼び込んだ。これはドイツにとっては理にかなった判断だった。だが、成長力に乏しく、インフレ気味だったイタリアやイギリスにとっては話が違う。ドイツに合わせて高金利を維持することは、自国経済の喉元を自らの手で締め上げるに等しかった。

スタインハートは1991年の終わりには、すでにこの亀裂を体系的なに研究しはじめていた。

彼のチームは、為替チャートから入ったのではない。各国の経済のファンダメンタルズから出発し、一国ずつ解剖していった。なかでもイタリアの問題は、目を覆いたくなるほどだった。財政赤字はGDP比で長く10%を超え、公的債務はGDP比で100%近く、インフレ率はドイツよりはるかに高い。リラはERMの枠組みの中で人為的に過大評価され、輸出競争力は流出し続けていた。さらに重要なのは、1992年のイタリアが「清潔な手作戦」をきっかけとする大規模な汚職スキャンダルに揺れ、政府への信頼が地に落ちていたことだ。

スタインハートが下した結論はこうだった。リラは「下落するかもしれない」のではない。「必ず下落する」。残された変数は、時間だけだ。

この読みは、ソロスのロジックとは同じではなかった。ソロスの中心的な賭けはポンドだった。イギリスは1990年に割高なレートでERMに加盟しており、経済基盤はもともと脆弱だった。ドイツが利下げの協調を拒めば、イギリスは相場を維持しきれない――精緻で、執行は凶暴だった。ソロスはポンドに100億ドルを超えるレバレッジ・ポジションを投じた。

スタインハートの選択は違った。彼が組んだのは、複数通貨にまたがる売りのポートフォリオだった。ポンド、リラ、スウェーデン・クローナを同時に仕込む。彼の見立てでは、ERMの構造的矛盾はひとつの国だけで爆発するのではない。ドミノ倒しのように、ファンダメンタルズの最も弱い環から順に倒れていく。リラは、彼が最も脆いと見たその一枚だった。

1992年9月13日、イタリアはリラの7%切り下げを発表する。ERM発足以来、最大の一度の調整幅だった。だが、スタインハートはポジションを閉じなかった。7%ではまるで足りない、と彼は判断した。リラの構造的な過大評価を出し切るには、もっと大きな修正が必要だ、と。

三日後の9月16日、ポンドは市場の集中砲火を浴びて崩れ、ERMから離脱する。同じ日、イタリアもリラのERM参加の一時停止を発表した。リラはそのまま自由落下し、最終的な下落幅は20%を超えた。

スタインハートの複数通貨ポートフォリオは、この二週間のあいだに一斉に爆発した。

後日、ある記者がスタインハートに尋ねた。リラ売りで最も難しかったのは何か、と。返ってきた答えは意外なものだった。「仕掛けることじゃない。待つことだ」

1991年末に仕込みはじめてから、1992年9月に危機が爆発するまで、その間およそ10か月。この期間、リラはすぐに弱くなったわけではない。イタリア政府は何度も市場に介入し、欧州各国の首脳も繰り返し協議を重ね、ERMの亀裂をふさごうとした。介入のたびにリラは一時的に押し上げられ、売りポジションは含み損を抱えた。

この責め苦は、たいていのトレーダーの心を揺さぶる。

スタインハートは揺らがなかった。その肝の据わり方は、ファンダメンタルズへの深い読み込みから来ていた。彼は信じていた。固定相場制度は、構造的な経済の不均衡を前にしたとき、崩壊を遅らせることはできても、止めることはできない。政府の介入の一つひとつは、バネを圧縮しているだけで、バネを取り外しているわけではない。強く押し込むほど、解き放たれる力は大きくなる。

これは逆張り投資の核心と完全に重なる。市場の短期的なノイズは、正しい判断を間違いのように見せる。そして本物の機会は、たいてい、あの最も耐えがたい待ち時間の中に潜んでいる。

1992年が終わるとき、スタインハート・パートナーズの運用規模は40億ドルを超え、通年リターンは50%を上回った。この一戦が、グローバル・マクロ運用の世界におけるスタインハートの地人を正式に確立した。だが、彼は最後までソロスのような大衆的な知名度を持たなかった。理由のひとつは、自分のトレードを喧伝するためにメディアの取材を自ら受けることがなかったから。もうひとつは、彼の複数通貨ポートフォリオ戦略が、簡潔なヒーロー物語に圧縮しづらかったからだ。

「イングランド銀行を打ち負かした」は、良い見出しになる。「欧州為替相場メカニズムの構造的不均衡を体系的なに読み解き、複数通貨にまたがる売りポートフォリオを構築した」は、そうはならない。

だが、投資の世界では、儲けることだけが唯一の得点板だ。

スタインハートは後年、回想録の中でこう書いている。1992年で最も誇らしかったのは、収益の数字ではない。一連の過程を通じて、独立した判断を保ち続けたことだ、と――ソロスの枠組みに追随せず、市場の短期的なノイズに引きずられず、長い待ち時間の中であきらめなかった。

ひとりのトレーダーがこの三つの「しなかった」をやり遂げられるなら、それだけで十分に稀有なことだ。

固定相場制度は、経済の不均衡が市場で出清されるシグナルを人為的に押さえつける。ファンダメンタルズのズレが広がり続けるのにレートが釘付けにされているとき、一方向のリスクは極端に非対称になる――これこそ、マクロの売りにとって最良の仕掛けどころだ。—— 投資の示唆

本篇 1 の書き留めたい一節

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