何が語られるか
アメリカ一の富豪が自ら底値買いに動き、市場に「呼びかけた」。だが息子の小ロックフェラーは静かに計算していた――父はすでに数千万ドルの含み損を抱えている、と。
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第 1 章 · ジョン・ロックフェラーは1929年の大暴落後に優良株を大量買いした――だが買えば買うほど含み損は膨らんだ
アメリカ一の富豪が自ら底値買いに動き、市場に「呼びかけた」。だが息子の小ロックフェラーは静かに計算していた――父はすでに数千万ドルの含み損を抱えている、と。
1929年10月下旬、90歳に手の届く一人の老人が、杖をつきながらニューヨークの公の場に姿を現した。彼が口にした一言は、翌日、全米の主要紙の一面を飾ることになる。
「株式の内在的な価値に問題はない。私自身も、私の子どもたちも、いま優良株を買い進めている」
この人物こそ、ジョン・D・ロックフェラー――スタンダード・オイルの創業者であり、アメリカ史上初めて資産が十億ドルを超えた富豪だった。彼の一言は、理屈の上では数百万人の心理を動かすだけの重みを持っていた。
だが、市場は彼の言葉に従わなかった。
時計の針を1929年10月24日まで戻そう。のちに「暗黒の木曜日」と呼ばれることになる日だ。ニューヨーク証券取引所が開いてわずか数分、売り注文が鉄砲水のようにあふれ出し、ダウ平均はその日だけで11%近くも崩れ落ちた。パニックはウイルスのように広がり、証券会社の電話は鳴りやまず、追証の通知がどのデスクにも山と積まれた。わずか五日間で、株式市場は約300億ドルの時価を蒸発させた――当時のアメリカのGDPのおよそ三分の一に相当する額だ。
ロックフェラーはこの光景を見て、これこそ百年に一度の買い場だと確信した。
彼の論理に根拠がなかったわけではない。彼は1873年の鉄道恐慌も、1907年の銀行取り付け騒ぎも自分の目で見てきた。危機のたびに、アメリカ経済はそのつど立ち直ってきた。今回も例外ではない――彼はそう信じた。そして一族の資金を動かし、ゼネラル・エレクトリックやUSスチールといった優良株を大量に買い集める一方で、公の場で呼びかけ、自らの名声を市場の「重し」にしようとした。
だが息子の小ジョン・ロックフェラーは、人知れず一本の鉛筆を手に取っていた。
小ロックフェラーには、父のような生まれついての楽観はなかった。彼は一族の保有銘柄のリストを一つひとつ照らし合わせ、買値とその時点の時価を突き合わせ、そしてその紙を脇へ押しやって、長いあいだ黙り込んだ。帳簿上の含み損は、すでに数千万ドルを超えていた。さらに彼を不安にさせたのは、下げ止まる兆しがどこにも見えないことだった。
父は底を拾っているつもりだった。だが「底」がどこにあるのか、誰一人として知らなかった。
ダウ平均は1929年9月、史上最高値の381ポイントをつけていた。暴落のあと、それはロックフェラーが期待したような反発を見せることなく、深い井戸に投げ込まれた石のように、ひたすら沈んでいった。1930年、さらに下げた。1931年、なお下げ続けた。1932年7月には、指数は41ポイントまで落ちた。
高値から底まで、実に89%もの下落だった。
これはありふれた弱気相場ではなかった。デフレの渦巻きだった。工場が閉じ、労働者が職を失い、消費が縮み、企業の利益が消え、それにつれて株価がまた下がり、そしてまた一巡の工場閉鎖が始まる。バリュー投資の核心にある前提は「企業はいずれ利益を生む」というものだ。だがこの危機のなかでは、「企業がそもそも生き残れるのか」さえ問題になった。ロックフェラーが買ったときに見定めた「内在的な価値」は、デフレの重圧のもとで何度も値づけし直され、しかもそのたびに前回より低い値がつけられていった。
著名人の後ろ盾は心理を動かすことはできる。だが心理は、ファンダメンタルズの崩壊を支えきれない。
ロックフェラーの公の呼びかけは、市場に一時的なテクニカルリバウンドを引き起こした。だがそれは、溺れる者が最後に水面へ顔を出したにすぎなかった。やがて株価はふたたび沈み、しかも前よりも深く沈んでいった。「アメリカ一の富豪が買っている」という言葉につられて市場に入った個人投資家の多くは、その後の数か月で資産を失い尽くし、二度と損を取り戻す日を迎えることはなかった。
ロックフェラー一族は、その日を待つことができた。
この物語のなかで、わずかに救いを感じさせる唯一の事実だ。スタンダード・オイルで築いた莫大な富のおかげで、一族には長い冬を越すだけのキャッシュフローがあり、最安値で泣く泣く投げ売りする必要はなかった。ダウ平均が1929年の高値を取り戻したのは1954年――実に25年もの歳月がかかった。普通の投資家にとって、25年とは壮年から晩年まで待つことを意味する。だがロックフェラー一族の信託の仕組みにとって、この投資は最終的に「ゆっくりと元手を取り戻し」、さらに長い時間軸で見れば相当のリターンさえ生んだ。
だがここには、何度も噛みしめる価値のある残酷な細部がある。ロックフェラー本人は1839年に生まれ、1929年の株価大暴落のときにはすでに90歳だった。彼は1937年に97歳でこの世を去ったが、ダウ平均が暴落前の水準に戻るのを、ついに見ることはなかった。
彼が買ったあの一群の株は、彼の存命中、一度も含み損を解消することがなかった。
この事例はしばしばバリュー投資家に引かれ、「長期保有はいずれ報われる」ことの証として使われる。だがこの論証には、意図的に省かれた前提が一つある――あなたは十分に長生きしなければならず、しかもこの長い待ち時間のあいだ、塩漬けになった資金に手をつけずに済むだけの余力を、つねに持っていなければならない。ロックフェラー一族はこの二つの条件をどちらも満たしていた。だからこそ、彼らは耐え抜くことができた。
もし、ごく普通の家庭が1929年に富豪と一緒に底値を拾っていたら、結末はどうなっていただろう。
子どもは学校に通わせなければならない。住宅ローンは返さなければならない。仕事はいつ失うかわからない。現実の重圧がどれか一つでものしかかれば、それは最も間違ったタイミングでの売却を強いる。「価値はいずれ回帰する」――この言葉は本当だ。だが「あなたが価値の回帰するその日まで生き延びられるかどうか」こそが、投資の結果を本当に左右する問いなのだ。
ロックフェラーのこの底値買いは、「正しい判断、間違ったタイミング、そして資本の厚みが運命を決める」ことを教える一つの授業だった。彼の名は十分に響き、彼の論理は十分に明晰で、彼の財力は十分に厚かった。それでもなお、彼はシステミックな危機を前にして数千万ドルの代償を払い、残りの人生のすべての年を通じて、自らの判断がいつまでも市場に裏づけられないさまを、その目で見届けることになった。
市場は、あなたが誰であるかなど気にしない。
判断の方向が正しくても、システミックな危機における「底」は、誰の見積もりよりも深いことがある。89%という数字が、その前車の轍だ。市場に入る前に、自分に問え――もし資産がもう二度半値になっても、あなたのキャッシュフローは何年もちこたえられるか、と。—— 投資の教訓
本篇 1 の書き留めたい一節
- 判断の方向が正しくても、システミックな危機における「底」は、誰の見積もりよりも深いことがある。89%という数字が、その前車の轍だ。市場に入る前に、自分に問え――もし資産がもう二度半値になっても、あなたのキャッシュフローは何年もちこたえられるか、と。—— 投資の教訓



