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短期のコマーシャルペーパーで借りて長期の不動産ローンに回す。逆ザヤが数十社のREITを二年で債務超過に追い込んだ
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第 1 章 · 米国REIT(不動産投資信託)のレバレッジ崩壊——1973年弱気相場、知られざる惨劇
短期のコマーシャルペーパーで借りて長期の不動産ローンに回す。逆ザヤが数十社のREITを二年で債務超過に追い込んだ。
1972年の暮れ、ウォール街のセールスマンたちは、コマーシャルペーパーの募集説明書を何通も抱えて、大手保険会社やマネー・マーケット・ファンドのオフィスを次々と訪ね歩いた。説明書のロジックは隙がなかった。6%の短期金利で資金を借り、それを12%の建設ローンとして貸し出す。利ザヤは6パーセントポイント。しかも裏付け資産は「絶対に下がらない」米国の不動産だ。
三年前、この業界はほとんど存在していなかった。
1969年、全米のモーゲージ型REITの規模は、合計でもようやく10億ドルを超える程度だった。それが1972年末には200億ドルを突破する。資金は潮のように流れ込み、数週間おきに新しいREITがニューヨーク証券取引所に上場した。チェース・マンハッタン、マニュファクチャラーズ・ハノーバー——こうした大手銀行は次々と系列のREITを設立し、自らのブランドを後ろ盾に、個人投資家も機関投資家も惹きつけた。好況のただ中で、誰一人として真剣に考えようとしなかった問いがある。もし短期金利が上がったら、この「短く借りて長く貸す」装置はどう動くのか?
1973年1月、FRBが引き締めを始めた。
フェデラルファンド金利は年初の5.5%から上がり続け、1974年の夏には13%に迫った。この数字は、6%のコマーシャルペーパーで資金を調達していたREITにとって、何を意味したのか。既存の借入が満期を迎えて借り換えるたびに、コストが一気に倍になるということだ。一方、すでに貸し出してしまった建設ローンは、期間が三年から五年と長く、金利は固定されたまま。一銭たりとも余分に受け取れない。
期間ミスマッチという鉄則が、この瞬間、その残酷さをすべて見せつけた。
問題はそれだけではなかった。1973年の秋、石油危機が勃発し、経済はスタグフレーションに陥る。不動産デベロッパーの資金繰りが断たれ始めた。建設ローンを引いた開発プロジェクトは、ある現場では工事が途中で止まり、ある物件は売れ残り、あるデベロッパーは姿を消した。REITの帳簿上で「優良な抵当資産」だったものは、引き取り手のない未完成ビルと空き地の山に変わった。
デフォルト率は1974年春から垂直に跳ね上がった。
チェース・マンハッタン傘下のREITが真っ先に直撃を受けた。その貸借対照表では、建設ローンと土地ローンが資産の80%超を占めていた。そしてこの二種類のローンは、景気後退期の回収率が、あらゆる担保の中で最も低い——建物は完成しておらず、土地はキャッシュフローを生まず、銀行が競売にかけても買い手がまるで見つからない。経営陣は緊急の債権者集会を開き、資産再編で時間を稼ごうとした。だがコマーシャルペーパーの保有者たちは、すでに借り換えを拒み始めていた。
短期資金の蛇口が一度閉まれば、装置全体が止まる。
1974年末までに、モーゲージ型REIT業界全体の時価総額は、ピークから70%超が消し飛んだ。数十社が再建手続きに入り、一部はそのまま破産清算へ。資産は半値、三割、あるいはそれ以下の値で叩き売られた。REITの主たる貸し手だった銀行の帳簿には、巨額の不良債権が積み上がり、融資担当者たちは年次報告書である新しい言葉を使い始める——「不動産関連損失引当金」。
この崩壊には、皮肉な構造があった。REITはそもそも、1960年代に米議会が、普通の投資家にも不動産市場へ参加してもらおうと設計した「民主化の道具」だった。立法の狙いはリスクの分散にあった。それが金融イノベーションの包装をまとった結果、リスクを一点に集中させ、増幅させるレバレッジ装置へと姿を変えた。道具そのものに原罪はない。だがサイクルの天井での強欲と、構造的な期間ミスマッチが出会えば、どんな道具も爆弾になる。
逆張りの投資家たちは、この歴史の中に自らの座標軸を見いだした。
1974年夏、REIT株が取引所でほとんど見向きもされなくなり、「不動産」という言葉が機関投資家の会議室でタブーと化したとき、ごく少数の人間が、破産再建案を一枚一枚めくり始めた。彼らは気づく。一部のREITが持つ裏付け資産——すでに完成した商業不動産やアパート——は、実のところ今も家賃のキャッシュフローを生んでいる。ただ債務の構造に押し潰されていただけだ。資産そのものは死んでいない。死んだのは「短く借りて長く貸す」というあの調達モデルだった。
清算価値の三割で、今も回り続けている資産を買う。これこそ逆張り投資の最も純粋な形だ。
この危機は、最終的にREITS業界そのものの遺伝子を作り替えた。1970年代の末から、エクイティ型REITが次第にモーゲージ型に取って代わり、主流となっていく——ローンを出して利ザヤを稼ぐのではなく、物件を直接保有し、家賃を受け取る。規制当局も、資産と負債の期間をより厳密に一致させるよう求め始めた。1974年を生き延びた会社は、例外なく、より保守的なレバレッジ比率と、より長い期間の負債構造を頼りに、金利の嵐をやり過ごしたのだった。
10億から200億まで、三年。
200億から70%が消えるまで、二年。
金融史におけるこの種の物語は、ほとんど一定のリズムで繰り返される。革新的な道具が生まれ、実績が裏づけとなって資金を呼び、流れ込んだ資金がバリュエーションを押し上げ、高いバリュエーションがリスクを覆い隠し、リスクが一気に噴き出し、業界がルールを作り直す。サイクルの底ではいつも、誰かが瓦礫の中でレンガを数え直している。
そのレンガを数える者こそが、次のサイクルの勝者になることが多い。
「短く借りて長く貸す」期間ミスマッチは、金利上昇局面では致命傷になる。どんな金融機関を評価するときも、まず負債側のデュレーションが資産側と合っているかを見よ。ズレが大きいほど金利感応度は高く、短期金利がひとたび倍になれば、利ザヤは一瞬でゼロに、いやマイナスにすらなり得る。—— 投資の教訓
本篇 1 の書き留めたい一節
- 「短く借りて長く貸す」期間ミスマッチは、金利上昇局面では致命傷になる。どんな金融機関を評価するときも、まず負債側のデュレーションが資産側と合っているかを見よ。ズレが大きいほど金利感応度は高く、短期金利がひとたび倍になれば、利ザヤは一瞬でゼロに、いやマイナスにすらなり得る。—— 投資の教訓



