何が語られるか
世界に冠たる内視鏡メーカーが、20年がかりで1000億円超の損失を帳簿の外へ隠し続けていた——その嘘を暴いたのは、外国人社長だった。
オリンパスは内視鏡で世界シェア7割を握る、誰もが知る優良ブランドだった。だがその堅実な看板の裏で、バブル期に膨らんだ巨額の投資損失を、20年近くにわたって帳簿の外に隠し続ける『飛ばし』が進行していた。2011年、社長に就いたばかりのイギリス人マイケル・ウッドフォードが、不可解なM&A手数料に気づいたことから、その嘘はほどけていく。世界的ブランドでも会計とガバナンスには罠が潜むこと、そして投資家が決算書のどこを見れば兆候を掴めたのかを、この一章で読み解く。
誰が読むべきか
- 『飛ばし』(損失先送り)という会計操作の仕組みと、なぜそれが20年も発覚しなかったのかを理解する。
- 本業が健全な優良ブランドでも、ガバナンスと会計には別のリスクが潜むこと——『良い会社』と『良い株』は違うことを学ぶ。
- 不自然なM&A手数料やのれんの減損など、投資家が決算書から異常を読み取るための具体的なな着眼点を知る。
试聴く第一章音声解説
精読全文
第 1 章 · オリンパス粉飾事件 · 優良企業に潜む罠
ひとつ問いを置こう。世界シェア7割の内視鏡を持ち、誰もが「堅実な優良企業」と信じて疑わなかった会社が、20年近くにわたって1000億円を超える損失を帳簿の外に隠し続けていた——そんなことが、本当にあり得るのか。
あり得た。それがオリンパス事件だ。
これから一章をかけて辿るのは、ひとつの嘘がどう生まれ、どう膨らみ、そして一人の外国人社長によってどうほどけていったかという物語である。まずバブル崩壊が会社に開けた巨大な穴を見る。次に『飛ばし』という会計操作が、その穴をどう20年も覆い隠したかを見る。そして2011年、マイケル・ウッドフォードという男が引いた一本の糸から、すべてが解けていく瞬間を見る。最後に——投資家であった私たちは、いったいどこを見れば、この罠に気づけたのかを考える。
まず時計を1980年代後半に戻そう。日本はバブルのただ中にあった。オリンパスもまた、本業の精密機器だけでは飽き足らず、有価証券や金融派生商品(デリバティブ)を使った『財テク』に手を染めていた。当時の多くの日本企業がそうしたように、余った資金を運用で増やそうとしたのだ。
ところが1990年代、バブルは崩壊する。オリンパスが抱えた金融商品は次々と値を崩し、含み損は雪だるま式に膨らんでいった。その額、最終的に1000億円を優に超える。
ここで会社は、致命的な選択をする。損を認めて損失計上し、株主に頭を下げるのではなく——隠す道を選んだのだ。
隠す手口が、いわゆる『飛ばし』である。仕組みはこうだ。値下がりした金融商品を、決算期の前に、簿価(買ったときの帳簿上の値段)のまま別の受け皿——海外のファンドや子会社——に売り渡す。すると、その商品はオリンパス本体の帳簿から消える。含み損も、表面上は消えたように見える。だが損は消えていない。受け皿の側に『飛ばされた』だけだ。決算をまたぐたびに、損失を抱えた商品を別の器へ、また別の器へと玉突きで移していく。爆弾を、点火したまま、誰かの手から誰かの手へ回し続けるようなものだ。
なぜ、こんな自転車操業を20年も続けられたのか。
ここがこの事件の核心であり、最も恐ろしい部分だ。飛ばした損失は、いつか必ず帳簿に戻さなければならない。受け皿に永遠に置いておくことはできないからだ。オリンパスはその『戻し』を、まったく無関係に見える方法で処理しようとした。M&A——企業買収である。
仕組みを噛み砕こう。オリンパスは買収を行う。そのとき、実態よりも法外に高い金額を支払う。あるいは、買収を仲介したアドバイザーに、常識では考えられないほど巨額の手数料を払う。その『水増しされた支払い』として外へ流したカネが、受け皿に溜まっていた損失の穴埋めに回る。会計上、高すぎる買収代金は『のれん』として資産に計上されるので、その時点では損として表に出ない。後からゆっくり償却・減損していけば、長年の損失を、あたかも『買収がうまくいかなかった』かのように、少しずつ自然に見せかけて消化できる——そういう絵を描いたのだ。
実際、オリンパスは2006年から2008年にかけて、奇妙な買収を立て続けに行っている。医療機器とはおよそ縁遠い、健康食品、化粧品、電子レンジ容器といった三つの国内ベンチャーを、合わせて700億円超で買収した。さらに2008年、イギリスの医療機器メーカー、ジャイラス社を約2100億円で買収した際、その仲介を担ったアドバイザーに約687億円——買収額のおよそ3分の1という、M&Aの常識ではあり得ない巨額の手数料を支払っている。
この数字を、覚えておいてほしい。買収額の3分の1の手数料。ここに、後にすべてを暴く糸口が隠れていた。
さて——2011年4月。ここで一人の男が舞台に上がる。マイケル・ウッドフォード。イギリス人。オリンパスのヨーロッパ法人で約30年のキャリアを積み上げ、ついに親会社オリンパスの社長に就任した。創業以来初の、生え抜きの外国人社長だった。
就任して間もなく、ウッドフォードはある月刊誌の記事に出くわす。そこには、オリンパスの過去の買収における不可解なカネの流れ——とりわけ、あのジャイラス買収の法外な手数料が指摘されていた。彼は社内に説明を求めた。だが、返ってくるのは曖昧な答えばかりだった。
ここでウッドフォードが見せた姿勢こそ、投資家が学ぶべきものだ。彼は『有名ブランドだから大丈夫だろう』とは考えなかった。数字が説明できないなら、それは説明できない数字なのだ、と動かなかった。彼は会計監査法人プライスウォーターハウスクーパース(PwC)に独自調査を依頼し、報告書を手にする。その内容は、一連の取引に重大な疑義があると示すものだった。
ウッドフォードは取締役会に対し、当時の会長・菊川剛氏らに説明と辞任を求める書簡を突きつけた。社長が、自社の会長に不正の疑いを突きつけたのだ。
その答えは、苛烈だった。2011年10月14日、就任からわずか半年。緊急取締役会は満場一致でウッドフォードを社長から解任する。理由は『経営手法が日本の文化に合わない』。彼一人だけが、解任に手を挙げなかった。
ここで普通なら、話は揉み消されて終わる。だがウッドフォードは違った。解任された彼は、身の危険を感じて即座に国外へ脱出し、自らが手にしていたPwCの報告書をイギリスの大手紙フィナンシャル・タイムズに渡した。内部の人間が、外の光の下にすべてを引きずり出したのだ。
報道は世界を駆け巡った。『なぜ世界的優良企業が、無名のベンチャー買収に何百億円も払い、アドバイザーに買収額の3分の1もの手数料を払ったのか』。誰も合理的に説明できなかった。市場は答えを待たなかった。疑惑が表沙汰になってから約1ヶ月で、オリンパスの株価は2400円台から500円を割る水準まで、実に8割近くも暴落した。時価総額にしておよそ7000億円が、ほぼ一ヶ月で消えた。
追い詰められた会社は、ついに第三者委員会の設置を余儀なくされる。そして2011年11月、オリンパスは公式に認めた——過去のM&A手数料や買収は、バブル期からの有価証券投資損失を隠すための『飛ばし』の解消に使われていた、と。隠されていた損失は、1990年代から積み上がった1170億円規模に上った。20年分の嘘が、ここで初めて言葉になった。
結末を見届けよう。菊川氏ら旧経営陣は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)で起訴され、有罪判決を受けた。オリンパス本体も罰金刑を受け、過去の決算を訂正した。一時は上場廃止の瀬戸際まで追い込まれたが、最終的に廃止は免れる。なぜか——内視鏡という本業そのものは、嘘とは無関係に、世界一の競争力を保ったまま健全に回り続けていたからだ。会社は外部資本を受け入れ、ガバナンスを刷新し、長い時間をかけて立ち直っていった。
ここに、この事件が投資家に突きつける最も鋭い教訓がある。本業は本物だった。製品は世界一だった。それでも株は8割暴落した。『良い会社』であることと『良い株(=安全な投資先)』であることは、決して同じではない。優良なブランド、堅実な事業——それは会計とガバナンスが健全であることを、何ひとつ保証しない。
では、私たち外部の投資家は、内部告発を待つしかなかったのか。いや、違う。痕跡は決算書に残っていた。本業の利益率は世界トップクラスなのに、なぜか財務体質は重く、純資産は薄い。実態の見えない無名企業を法外な値段で買い、買収のたびに巨額の『のれん』が膨らんでいく。そしてジャイラス買収の、買収額の3分の1という説明不能な手数料。ひとつひとつは見過ごせても、並べてみれば『カネがどこかへ消えている』という静かな信号が、ずっと点滅していた。空売り筋が嫌う優良ブランドの陰で、数字を疑い続けた者だけが、その点滅に気づけたのだ。
全体を振り返ろう。バブル崩壊が開けた1000億円超の穴。それを覆い隠した『飛ばし』という会計操作。20年を経て、買収手数料という不自然な形でしか『戻せ』なくなった損失。そして、有名ブランドへの信頼に流されず数字の不整合に立ち止まった一人の社長が、すべてを白日の下に晒した——オリンパス事件とは、そういう物語だった。投資の世界で私たちが手にすべき武器は、ブランドへの安心ではない。『この利益は、このカネは、本当に説明がつくのか』と問い続ける、静かな猜疑心なのである。
良い会社であることと、良い株であることは、別の問いだ——世界一の製品を持つ企業でさえ、会計とガバナンスが腐れば、価値はひと月で8割消える。—— 投資の示唆
編集部について
オリンパス(現オリンパス株式会社)は1919年創業の光学・精密機器メーカー。胃カメラ・内視鏡で世界最大手となり、医療分野で圧倒的なシェアを誇る。本事例で扱う2011年の粉飾事件は、創業以来の優良企業ブランドと、その内部で長年続いていた会計不正との落差を浮き彫りにした、日本のコーポレートガバナンス史上最大級のスキャンダルである。
查看編集部全投資ノート →本篇 1 の書き留めたい一節
- 良い会社であることと、良い株であることは、別の問いだ——世界一の製品を持つ企業でさえ、会計とガバナンスが腐れば、価値はひと月で8割消える。—— 投資の示唆



