何が語られるか
山口の小さな紳士服店を継いだ青年が、九回負けて一回勝つことを覚悟し、ユニクロを世界ブランドに育てるまでの話。
一九七二年、二十三歳の柳井正は、ほとんど嫌々ながら故郷の小さな店に戻った。山口県宇部、父が営む紳士服店「メンズショップ小郡商事」。社員は一人を残して全員辞めた。彼はそこで、品出し、レジ打ち、掃除、仕入れ——商売のすべてを、たった一人で覚えていく。誰も、この青年が三十数年後に日本一の金持ちになるとは思わなかった。彼自身も思っていなかった。柳井正の物語は、よくある成功譚とは少し違う。彼が誇りにしているのは、勝った回数ではない。負けた回数のほうだ。彼の代表作のタイトルそのものが、それを言っている——『一勝九敗』。十回挑戦して、九回は失敗した、と。海外一号店は半年で畳んだ。野菜事業も、ファミリー向けの新業態も、ことごとくしくじった。だが彼は、その失敗をいちいち書き残し、原因を分解し、次の一手に変えていった。この特集では、宇部の小さな店からグローバルブランドへの道を、四つの章で辿る。実行と失敗からの学習——それが、この物語の本当の主題だ。
誰が読むべきか
- 「製造小売(SPA)」という仕組みが、なぜ服の値段と品質を同時に変えたのか、その構造を理解する
- 成功の絶頂で慢心せず、失敗を記録して次に変える「失敗を資産にする」経営の作法を学ぶ
- 計画と現場、理想と実行——この二つをどう往復させて事業を伸ばすのか、その回路をつかむ
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精読全文
第 1 章 · 宇部の小さな店を継いだ青年
二十三歳。大学を出たばかりの青年が、嫌々ながら故郷の小さな紳士服店に戻ってくる。社員はほとんど辞めてしまった。残ったのは、彼一人。誰も、この青年が日本一の金持ちになるとは思わなかった——本人さえも。これは、そこから始まる話だ。
一九七二年、山口県宇部。
柳井正は、父の店に立っていた。
店の名は、メンズショップ小郡商事。商店街の一角にある、ありふれた紳士服店だ。スーツを売り、ワイシャツを売り、注文を受けて仕立てる。父・等(ひとし)が一代で築いた、堅実だが、小さな商売だった。
正直に言えば、柳井正はこの店を継ぎたくなかった。
彼は早稲田大学で政治経済を学び、卒業後は大手スーパー・ジャスコに就職していた。だが、わずか九か月で辞めた。本人いわく、毎日が退屈で、何のために働いているのかわからなかった、と。
行き場を失って、彼は実家に戻ってきた。
そして、思いがけないことが起きる。
彼が店に入ってしばらくすると、もともといた数人の社員が、たて続けに辞めていった。残ったのは、たった一人だった。
二十三歳の柳井正は、こうして、ほとんど無人の店で、商売のいろはを、独学で覚えるしかなくなった。
品出し。レジ打ち。掃除。仕入れの交渉。帳簿づけ。
全部、一人で。
のちに彼は振り返っている。あのとき社員が辞めてくれたのは、不幸ではなく幸運だった、と。なぜなら、誰も頼れないからこそ、商売のすべての工程を、自分の手で、端から端まで理解せざるを得なかったからだ。
ここで止まる。
この一点は、覚えておく価値がある。
柳井正の経営の出発点は、立派な理論ではなかった。たった一人で店番をした、その泥くさい日々だった。彼は、現場のすべてを手で触って覚えた。だからのちに、どんなに会社が大きくなっても、彼は現場の感覚を手放さなかった。
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この特集では、四つの章に分けて、柳井正とユニクロの歩みを読んでいく。
この第一章では、彼の原点を見る——宇部の小さな店を継いだ青年が、どうやって「服を、もっと安く、もっと良く、普通の人に」という発想にたどり着き、一九八四年に最初のユニクロを広島で開くまで。
第二章では、彼の最大の勝負手を見る——製造小売、いわゆるSPAという仕組みだ。なぜユニクロのフリースは、あれほど安くて、あれほど良かったのか。その答えは、服の作り方そのものを変えたところにある。
第三章では、彼の最も手痛い失敗を見る——海外進出だ。ロンドン一号店はあっけなく潰れた。なぜ柳井正は、その失敗を恥じるどころか、わざわざ本に書き残したのか。
第四章では、立て直しと総括を見る——失敗からどう学び、ニューヨークや上海からどう巻き返したのか。そして『一勝九敗』という言葉に込めた、経営の核心とは何だったのか。
よし。原点から始めよう。
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話を一九七〇年代の後半に進める。
柳井正は、父の店を少しずつ自分の手で動かすようになっていた。
だが彼は、スーツを売る商売そのものに、ある種の限界を感じていた。スーツは高い。客は一生に何度も買わない。販売員が一人ひとりに張りついて接客する——手間がかかる。商売が、伸びにくい。
彼は考えた。もっと回転の速い、もっと多くの人が日常的に買う服はないか、と。
そして彼は、アメリカの大学生協や、本やレコードを自分で棚から取ってレジへ運ぶ、あのセルフサービスの売り場を思い浮かべた。
服も、ああやって売れないか。
店員が張りつかず、客が自分で手に取り、サイズを選び、レジへ持っていく。誰でも、気軽に、安く買える。そういう服の店。
この発想が、ユニクロの種になった。
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一九八四年六月。
柳井正は、広島市の袋町に、最初の店を開いた。
店名は——ユニクロ。
「ユニーク・クロージング・ウェアハウス(独特な衣料の倉庫)」を縮めた名前だ。倉庫のように天井を高くとり、服を山積みにして、客が自由に選んで買う。
開店初日。
朝、店の前には行列ができた。安くて、気軽に入れる店——その評判は、たちまち広がった。
だが、ここで一つ、正直に言っておかなければならない。
この時点でのユニクロは、まだ「安いカジュアル服の店」にすぎなかった。仕入れた服を安く売る、よくある業態だ。本当の意味でユニクロがユニクロになるのは、もう少し先——彼が、服の「作り方」そのものに手を突っ込んでからだ。
一人で店番をした青年は、なぜ「服を安く、良く」にこだわったのか。そして彼は、その理想を実現するために、いったい何を、根こそぎ作り変えたのか。次の章では、ユニクロを本当に強くした仕組み——SPAの話をしよう。
第 2 章 · SPAという発明とフリースの旋風
一枚のフリースが、千九百円。安い。だが安かろう悪かろうではない。むしろ、温かくて、軽くて、色が豊富で——みんなが一枚どころか、何色も買った。なぜユニクロは、安さと良さを、同時に成り立たせられたのか。その秘密は、服を「売る」のではなく「作る」ところまで踏み込んだ、ある仕組みにある。
前章では柳井正の原点を語った。宇部の小さな店を一人で切り盛りした青年が、「服を安く、良く、普通の人に」という発想にたどり着き、一九八四年、広島でユニクロ一号店を開いた。だがあの時点のユニクロは、まだ仕入れた服を安く売る、ありふれた店だった。今日は、それが本当の意味で強くなる転機の話だ。
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まず、当たり前すぎて見落とされがちな問いを立てよう。
なぜ、ふつうの服は、あなたの手元に届くまでに高くなるのか。
答えは、間に人が多いからだ。
企画する会社、生地を作る会社、縫う工場、卸す商社、小売の店——服は、こうした何段もの手を経て、あなたのところへ来る。一段ごとに、利益が乗る。在庫のリスクも、各段がそれぞれ抱える。だから、最終的な値段は高くなり、しかも作っているほうも、本当に売れる服がどれなのか、よくわかっていない。
柳井正は、この長い連なりを、まるごと見つめた。
そして、こう考えた——この間の段を、できるだけ自分たちで握れないか。
企画も、生産の管理も、品質も、店頭での販売も、在庫の調整も。全部、一つの会社が、一気通貫で受け持つ。
これが、SPAと呼ばれる仕組みだ。
SPAは、製造小売と訳される。アパレルの世界では「自分のブランドの服を、自分で企画し、生産を管理し、自分の店で売る」業態を指す。柳井正は、もともとアメリカの衣料チェーンが使っていたこの考え方を、ユニクロに本格的に持ち込んだ。
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ここで止まる。
なぜSPAが、そんなに効くのか。
二つ、理由がある。
一つ目——間の利益が消えるから、安くできる。卸や商社の取り分がなくなれば、その分、客に安く出せる。
二つ目——これがもっと大事だ——店で何が売れているかが、すぐ作り手に伝わる。
ふつうの小売店は、売れ筋を見ても、すぐには生産を変えられない。間に何社も挟まっているからだ。だがユニクロは、企画から生産まで自分で握っている。だから、どの色が売れているか、どのサイズが足りないかを、素早く生産にはね返せる。売れるものを、もっと作る。売れないものは、止める。
つまりSPAは、ただ安くするだけの仕組みではない。市場の声を、最短距離で、ものづくりに届ける仕組みなのだ。
柳井正の核心にある考えは、こうだ——服は、売る前に作り方から考えなければ、本当に良いものにも、本当に安いものにもできない。
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そして、その仕組みが、ある一枚の服で爆発する。
フリースだ。
一九九〇年代の終わり。ユニクロは、フリースという素材に狙いを定めた。軽くて、温かくて、洗いやすい。だが当時、ちゃんとしたフリースは、それなりの値段がした。
ユニクロは、SPAの力をここで全開にした。
生地は、世界規模で安く大量に調達する。生産は、中国の協力工場に大量に発注して、一着あたりのコストを極限まで下げる。色は、何十色もそろえる。そして、値段を——千九百円に設定した。
千九百円のフリース。
この値段は、当時の常識を壊していた。
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一九九八年、ユニクロは東京・原宿に旗艦店を出す。
そして、フリースの旋風が始まった。
数字を見よう。
一九九八年度、フリースはおよそ二百万着。
一九九九年度、およそ八百五十万着。
二〇〇〇年度には、なんと、およそ二千六百万着。
二千六百万着。
これは、日本の人口のおよそ五人に一人が、その年にユニクロのフリースを一着買った計算になる。実際には、一人で何色も買う人が続出した。赤、青、緑、黄——色違いで揃える。それが、ちょっとした社会現象になった。
ユニクロという名前は、この一枚のフリースで、全国に轟いた。
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だが、ここに、柳井正らしい怖さがある。
フリースが爆発的に売れ、会社の業績が急伸し、誰もが「ユニクロは無敵だ」と言い始めたまさにそのとき——彼は、警戒していた。
彼は、こう考えていた。一つの大ヒットに頼る会社は、そのヒットが冷めた瞬間に、崩れる、と。
実際、フリースの熱狂は、永遠には続かなかった。ブームが一巡すると、反動で売上は落ち込み、ユニクロは「もう飽きられた」とまで言われる時期を迎える。
のちに彼は、ある本にこんな趣旨のことを書いている。成功は、一日で捨て去れ、と。昨日うまくいったやり方に、しがみつくな。市場は変わる、自分も変えろ、と。
この感覚——絶頂で慢心しない、むしろ警戒する——は、彼の経営を貫く太い背骨だ。
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SPAという仕組みと、フリースという大当たり。
この二つで、ユニクロは日本を制した。
だが、日本を制した柳井正の頭には、もっと大きな地図が広がっていた——世界だ。
彼は、ユニクロを世界ブランドにしたかった。
そして、勇んで海外へ打って出る。
ところが、ここで彼は、人生最大級の失敗の連続に、まっすぐ突っ込んでいくことになる。最初の海外一号店は、わずかな期間で閉店に追い込まれた。
なぜ、日本であれほど強かったユニクロが、海を渡ったとたんに躓いたのか。次の章では、柳井正の「九敗」の中身を、正面から見ていこう。
第 3 章 · 九敗の記録、ロンドンの蹉跌
海外へ打って出る。日本で無敵だったユニクロが、ついに世界へ——だが、最初の海外一号店は、あっけなく潰れた。普通の経営者なら、隠したい話だ。柳井正は、逆をやった。その失敗を、わざわざ一冊の本に書き残した。なぜ、負けをそこまで丁寧に記録したのか。この章は、その「九敗」の物語だ。
前章では、SPAという仕組みと、フリースの旋風を語った。ユニクロは日本を制し、誰もが無敵だと言った。だが柳井正は、絶頂のさなかでこそ警戒していた——成功は、一日で捨て去れ、と。今日は、その警戒が現実になる話だ。海を渡った彼を待っていたのは、勝利ではなく、手痛い連敗だった。
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二〇〇一年。
ユニクロは、海外一号店を、ロンドンに開いた。
イギリスは、世界へ打って出る足がかりとして選ばれた。柳井正の構想は壮大だった。短期間に、ロンドンとその周辺に、何十店舗もを一気に展開する。日本でうまくいったやり方を、そのまま海外へ持っていけば、勝てるはずだ——そう考えていた。
だが、現実は、まるで違った。
店は、次々と赤字を垂れ流した。
わずか数年のうちに、イギリスで開いた店の大半を、閉めることになった。最初に意気込んで出した拠点の多くが、たたまれていった。海外進出の華々しい第一歩は、惨敗で終わった。
ここで止まる。
何が、いけなかったのか。
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柳井正は、のちにこの失敗を、徹底的に分解している。
問題は、一つや二つではなかった。
まず、出店のペースが速すぎた。市場を本当に理解する前に、勢いだけで店数を増やしてしまった。一店一店を成り立たせる前に、戦線を広げすぎたのだ。
次に、現地のやり方を、軽く見ていた。日本の流儀をそのまま持ち込めば通じる、と思い込んでいた。だが、現地の社員の働き方、客の好み、商習慣——どれも日本とは違う。その違いを埋める前に、規模だけが先走った。
そして、組織が、急拡大に追いつかなかった。店を増やしても、それを回せる人と仕組みが、育っていなかった。
柳井正は、これらを一つずつ書き出した。言い訳ではなく、原因の分解として。
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そして、ここが、柳井正という経営者の真骨頂だ。
彼は、この失敗を、隠さなかった。
それどころか、二〇〇三年、彼は『一勝九敗』という本を出す。
タイトルそのものが、彼の経営観を言い切っている。
十回新しいことに挑戦すれば、九回は失敗する、と。うまくいくのは、せいぜい一回。だが、その一回の勝ちが大きければ、九回の負けを補って、なお余りある、と。
彼は、自分の数々の失敗を、その本に書き連ねた。ロンドンだけではない。野菜事業に手を出して失敗したこと。ファミリー向けの新しい業態を試して、うまくいかなかったこと。スポーツ用品にも挑んで、退いたこと。
どれも、隠したい話のはずだ。
だが彼は、こう考えた。失敗を隠せば、そこから学べない。記録してこそ、次に同じ轍を踏まずにすむ、と。
失敗は、恥ではない。失敗は、データだ。
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この考え方は、よくよく噛みしめる価値がある。
多くの会社は、失敗を「なかったこと」にしたがる。担当者を責め、口をつぐみ、報告書を美しく整える。そして、数年後、別の部署が、まったく同じ失敗を繰り返す。なぜなら、最初の失敗が、どこにも記録されていないからだ。
柳井正は、その逆を組織の習慣にした。
挑戦せよ。だが、失敗したら、必ず原因を書き残せ。次に活かせ。
彼の核心にある考えは、こうだ——挑戦しない者は、失敗もしないが、成長もしない。失敗を恐れて何もしないことこそ、最大の失敗だ、と。
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だが、ここで一つ、誤解しないでおきたい。
『一勝九敗』は、「失敗しても気にするな」という、気休めの本ではない。
むしろ逆だ。
柳井正が言っているのは——失敗は前提として織り込め、だが一回一回の失敗からは、骨の髄まで学び尽くせ、ということだ。九回負けてもいい。ただし、その九回が、ただの損で終わってはいけない。九回ぶんの学びを、たった一回の大きな勝ちに、変換しろ。
この「失敗を学習に変える」回路こそ、彼が海外の連敗から手にした、最大の財産だった。
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そして、ここから先が、面白い。
ロンドンで惨敗した柳井正は、海外進出そのものを、あきらめたのか。
あきらめなかった。
それどころか、彼はもう一度、世界に挑む。今度は、ロンドンの失敗を一つずつ潰したうえで。出店のペースを見直し、現地を深く理解し、何より——一店の「旗艦店」で、ユニクロというブランドそのものを、世界に堂々と見せつける戦い方へと、舵を切る。
九回負けた男は、どうやって、その一回の勝ちをつかみにいったのか。次の章では、ニューヨークと上海からの巻き返し、そしてユニクロが本当に世界ブランドになる瞬間を見ていこう。
第 4 章 · 世界ブランドへ、そして一勝九敗の哲学
ロンドンで負けた。野菜でも負けた。新業態でも負けた。普通なら、ここで海外進出を畳む。だが柳井正は、もう一度、世界に挑んだ。今度は、失敗を一つずつ潰したうえで。この最終章では、九敗の男が、どうやって一勝をつかみ、ユニクロを本当の世界ブランドへ押し上げたのかを見ていく。そして、その全体を貫く一つの言葉に、辿り着く。
前章では、海外進出の連敗と、『一勝九敗』という本を語った。柳井正は、失敗を隠さず記録し、原因を分解した。失敗は恥ではなく、データだ——それが、連敗から彼が掴んだ財産だった。今日は、その財産が、どう一勝に結実したかの話だ。
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まず、一つ問いを立てよう。
ロンドンで大量閉店を経験した柳井正は、何を変えたのか。
答えは、戦い方そのものだ。
ロンドンでの失敗の核心は、「日本のやり方を、勢いのまま、薄く広げた」ことにあった。だから彼は、逆をやることにした。
薄く広げるのではなく、まず一点に、深く、濃く打ち込む。
その一点が——大都市の、巨大な旗艦店だった。
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二〇〇五年以降、ユニクロは、海外戦略を組み直す。
二〇〇五年、アメリカに再上陸。
そして二〇〇六年、ニューヨークのソーホーに、巨大なグローバル旗艦店を開いた。
この旗艦店は、ただの大きな店ではなかった。
それは、ユニクロというブランドの「思想」を、丸ごと見せるための舞台だった。広く、明るく、美しく陳列された店内。何十色もきれいに積み上げられた服。世界の一等地に、堂々と構える——その姿そのものが、「ユニクロは、安かろう悪かろうの店ではない。世界に通じる、上質で手頃なブランドだ」というメッセージになった。
旗艦店で、まずブランドの格を世界に刻む。そのうえで、周辺に普通の店を広げていく。
これが、ロンドンの反省から生まれた、新しい型だった。
同じ頃、ユニクロは中国にも本格的に根を下ろす。二〇〇二年に上海へ出ていたが、ここでも初期は試行錯誤が続いた。だが、価格や品揃えを現地に合わせ、上海などの大都市で旗艦店を構える戦略に切り替えると、流れが変わる。中国は、やがてユニクロにとって、日本本国に迫る巨大市場へと育っていく。
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そして、もう一つ。
ユニクロを世界ブランドへ押し上げたのは、店だけではなかった。
商品そのものの、進化だ。
柳井正は、フリースの一発屋で終わらないために、次の柱を作りにいった。
素材メーカーの東レと深く組み、機能性の高い肌着——ヒートテックを生み出す。薄いのに、暖かい。冬の必需品として、世界中で売れた。さらに、軽くて暖かいウルトラライトダウン。汗を素早く乾かすエアリズム。
これらに共通するのは、ある一つの思想だ。
ユニクロが売るのは、流行の服ではない。誰もが日常で着る、上質な「部品」のような服——柳井正は、これを「ライフウェア」と呼んだ。
誰のものでもあり、長く使える。流行を追いかけて消耗するのではなく、生活の基盤になる服。
この思想は、SPAという仕組みと、見事にかみ合った。定番を、大量に、安定した品質で、安く作り続ける——それこそ、SPAが最も得意とすることだったからだ。
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ここで、全体を、一段引いて眺めてみよう。
柳井正という人を貫いているのは、二つの力の往復だ。
一つは、計画。
彼は、ほら吹きと言われるほど、大きな目標を掲げる人だった。まだ売上が数百億円の頃に、「いずれ世界一の衣料品会社になる」と公言していた。途方もない計画を、先に立てる。
だが、もう一つの力が、それと釣り合っている。
現場と、実行だ。
彼は、机上の理想だけの人ではない。一人で店番をした原点を忘れず、現場の数字、店の売れ行き、客の手の動きにこだわり続けた。そして何より——計画どおりに行かなければ、すぐにやり方を変えた。失敗を記録し、原因を分解し、次に活かす。
大きく構想し、小さく検証し、間違えたら直す。
この往復こそが、『一勝九敗』の正体だ。
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今への重ね合わせを、一つ。
新しいことに挑むとき、私たちはつい、こう考える。失敗したくない。だから、確実に勝てる一手だけを打ちたい、と。
だが、柳井正の経営は、まったく逆の前提に立っている。
新しい挑戦は、ほとんど失敗する。だから、失敗を恐れて立ち止まるのではなく、失敗を織り込んだうえで、何度も打つ。そして、一回一回の失敗から、徹底的に学ぶ。十回打てば、一回は大きく当たる。その一勝が、九敗を補って余りある。
この考え方は、衣料の商売だけのものではない。新しい事業を起こす人、投資の判断を重ねる人——不確実なものに賭けるすべての営みに、共通する。
大事なのは、一回も負けないことではない。負けを小さく、記録し、学び、そして、大きな一勝をつかみにいくことだ。
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振り返って、この四章を見てみよう。
第一章。宇部の小さな店を一人で切り盛りした青年が、商売を手で覚え、「服を安く、良く、普通の人に」という発想にたどり着き、ユニクロを開いた。
第二章。SPAという仕組みで、服の作り方そのものを変え、千九百円のフリースで日本を席巻した。だが彼は、絶頂でこそ警戒した。
第三章。海を渡って連敗した。ロンドンは潰れた。だが彼は、その失敗を隠さず、『一勝九敗』に書き残した。失敗は、データだ。
第四章。失敗を一つずつ潰し、旗艦店とライフウェアで巻き返し、ユニクロを世界ブランドへ押し上げた。
四章を読み通すと、柳井正という人には、終始変わらないものが一つあった。
彼は、勝ち続けたから強いのではない。負けるたびに、その負けから学び、立ち上がり続けたから、強いのだ。
一勝九敗。
この言葉は、彼の弱さの告白ではない。挑戦をやめない者だけが手にできる、最も誠実な、勝ち方の名前だ。
十回新しいことを始めれば、九回は失敗する。だから、一回の成功を、次への糧にすればいい。—— 金言
編集部について
ファーストリテイリング会長兼社長・柳井正(一九四九年—)を主題にした人物伝。山口県宇部の小さな紳士服店の跡継ぎから出発し、一九八四年に広島でユニクロ一号店を開き、製造小売(SPA)という仕組みでカジュアル衣料の常識を塗り替えた。フリースブームで全国を席巻し、海外進出では手痛い失敗を重ねながら、ニューヨークや上海から立て直し、ユニクロを世界規模のブランドに育て上げた。著書に『一勝九敗』『成功は一日で捨て去れ』。本編は、彼の発言や著作に残る考え方を軸に事実に忠実に再構成したものである。誇張は語り口にとどめ、年・数字・出来事の因果は史実に基づく。
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- 十回新しいことを始めれば、九回は失敗する。だから、一回の成功を、次への糧にすればいい。—— 金言

