何が語られるか
福岡の小さな町から世界の通信・投資の頂点へ——時間軸で賭ける男、孫正義の光と影をたどる。
彼は19歳で人生の50年計画を立てた。20代でソフトの流通会社を始め、Yahoo! JAPAN、ボーダフォン買収による通信参入、iPhoneの独占販売、そしてアリババへの20億円が数兆円になるという伝説を作った。一方でビジョン・ファンドはWeWorkで巨額の損失も抱えた。経営者であり、同時に世界最大級の投資家でもある孫正義。その判断の癖と、レバレッジという両刃の剣を、4章で読み解く。
誰が読むべきか
- 「時間軸」で物事を考えるとはどういうことか——目先ではなく数十年先から逆算する発想を学ぶ。
- 巨額レバレッジと集中投資の威力とリスクを、アリババの成功とWeWorkの失敗の両面から理解する。
- 「群戦略」やビジョン・ファンドに表れる、勝者の周りに賭ける投資哲学の組み立て方を知る。
试聴く第一章音声解説
精読全文
第 1 章 · 19歳の50年計画
19歳の青年が、ノートに自分の人生を書き出した。20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で次の世代へ引き継ぐ——。荒唐無稽に聞こえるだろうか。だが孫正義は、この「人生50年計画」をほぼその通りに歩んだ。それが、この男を理解する出発点になる。
この4章で、私たちは一人の人物の生涯を追いながら、ある問いを考えていく。なぜ彼は、誰も見向きもしない時期に大きく賭けられたのか。第1章では、福岡の貧しい家からアメリカ留学、そして起業の原点までをたどる。第2章では、ソフトの流通からインターネット、そして通信事業への大転換を見る。第3章では、アリババ投資という伝説と、世界最大級の投資ファンドの誕生を追う。最終章で、その光と影——巨額レバレッジが生む栄光と痛手——を見つめ直す。一貫して流れているのは、「時間軸」という一つの考え方だ。
まず生い立ちから。孫正義は1957年、佐賀県鳥栖市に生まれ、福岡で育った。在日韓国人の家庭だった。祖父は炭鉱で働き、父は事業をいくつも手がけた。豊かではない暮らしの中で、少年は強烈なハングリー精神を身につけていく。差別を感じる場面もあった。だが彼は、出自を恨むのではなく、それをバネにする道を選んだ。
転機は16歳で訪れる。彼は高校を中退し、単身アメリカへ渡る決意をした。きっかけの一つは、日本マクドナルドを立ち上げた藤田田の本だった。少年は実際に藤田に会いに行き、「これからは英語とコンピューターだ」という言葉を授かったという。普通の高校生なら、本を読んで終わりだろう。だが彼は会いに行った。この「思い立ったら本人に当たる」という行動力は、後の人生で何度も顔を出す。
アメリカでの孫正義は、猛烈に勉強した。語学学校から短大を経て、名門カリフォルニア大学バークレー校に編入する。経済学を専攻しながら、彼は「1日に1つ発明する」と自分に課した。アイデアを書き留めるノートを毎日埋めていったのだ。その中の一つ——音声機能つきの多言語翻訳機の試作——を大学の教授たちと形にし、なんとシャープに売り込んで約1億円の資金を得る。学生のうちに、彼はすでに「アイデアを金に変える」経験をしていた。
ここに、後の孫正義のすべての萌芽がある。第一に、未来を読む執念だ。彼はコンピューターのチップの写真を見て、「これが世界を変える」と涙したという逸話を語っている。事実かどうかより、彼が技術の方向性に賭ける人間だったことが重要だ。第二に、徹底した行動力。会いに行く、作る、売る。考えるだけでは終わらせない。第三に、時間軸の発想。19歳で50年を設計するという、常識外れの長さで物事を見る癖だ。
そして1981年、24歳の孫正義は日本に戻り、福岡でソフトバンクを創業する。社員はわずか数名。みかん箱の上に立った彼が、「うちは将来、一兆、二兆と数える会社になる」と豆腐を数えるように語った——という有名な話がある。社員は呆れて辞めてしまったとも言われる。だが彼は本気だった。誇大妄想と紙一重の大きな絵を描き、それを言葉にして人を巻き込む。これもまた、生涯変わらない彼の流儀だった。
では、その「みかん箱の会社」は、何を売って世に出たのか。そして、どうやって日本の産業を変える存在へと駆け上がっていったのか。次の章で、ソフトの流通からインターネット、そして誰もが驚いた通信事業への大転換を見ていこう。
第 2 章 · 流通から通信へ——大転換の賭け
前章では、福岡の貧しい家に生まれた少年が、アメリカで未来に賭ける癖を身につけ、24歳でみかん箱の上から「一兆、二兆」と語る会社を作るまでを見た。では、その小さな会社は、どうやって日本の産業地図を塗り替えていったのか。
創業時のソフトバンクが選んだのは、ソフトウェアの流通だった。パソコンが家庭に入り始めた時代、ソフトを作る会社と、それを売る家電量販店の間には、まだ整った卸の仕組みがなかった。孫正義はそこに目をつけ、多くのソフトを束ねて量販店に流す「問屋」になる。さらに、パソコン雑誌を出版し、業界の情報の中心地になっていった。彼は単にモノを流すのではなく、「情報のインフラを押さえる」という発想で動いていた。
1990年代後半、彼はインターネットの大波を読む。1995年、まだ赤字続きだったアメリカのYahoo!に出資し、筆頭株主となる。そして翌1996年、Yahoo! JAPANを合弁で設立した。日本人がネットの入り口で必ず通る検索ポータルを、いち早く押さえたのだ。これは大当たりとなり、ソフトバンクはネット時代の主役の一角に躍り出る。ここでも彼がしたのは、「みんなが使う入口」を取りに行くことだった。
だが、彼の野心はそこで止まらない。2000年代に入ると、孫正義は通信そのものに乗り込んでいく。最初の一手はブロードバンドだった。「Yahoo! BB」を立ち上げ、街角で無料のADSLモデムを配りまくるという、なりふり構わぬ攻勢に出る。当時、日本のネット回線は高く、遅かった。彼は安く速い回線を一気に普及させ、料金破壊を起こした。利用者にとっては福音だったが、ソフトバンクは巨額の赤字を背負い込む。批判も浴びた。それでも彼は引かなかった。
そして2006年、世間を仰天させる一手が来る。携帯電話会社・ボーダフォンの日本法人を、約1兆7500億円で買収したのだ。当時の会社規模からすれば、桁外れに大きな買い物だった。資金の多くは借入で賄った。いわゆるレバレッジ——他人の資本を使って身の丈以上の勝負をする手法だ。失敗すれば会社ごと沈む。多くの人が無謀だと囁いた。
なぜそこまでして携帯に賭けたのか。孫正義は、これからの時代、人々がネットにつながる場所はパソコンの前ではなく、手のひらの上になると見ていた。通信網を自前で持つことが、未来の覇権を左右する——そう読んだのだ。そしてこの読みを決定づけたのが、2008年、アップルのiPhoneだった。彼はアップルのスティーブ・ジョブズに直談判し、日本での独占販売権を勝ち取る。スマートフォンという新しい波の入り口を、日本でほぼ独り占めしたのだ。
ここに、彼の戦い方がはっきり表れている。第一に、波を波が来る前に読む。流通、ネット、ブロードバンド、スマホ——彼はいつも、世間が確信する一歩手前で大金を投じてきた。第二に、入口を押さえる執念。検索ポータル、回線、独占端末。人々が必ず通る関所を取りに行く。第三に、巨額レバレッジ。借りた金で身の丈以上に賭ける。これが彼を一気に大きくし、同時に、後に最大の弱点にもなっていく。
ボーダフォン買収の借金は、当初こそ重荷だった。だがiPhone人気もあり、ソフトバンクの携帯事業は急成長し、借入は着実に返済されていく。賭けは、見事に当たったのだ。経営者として、孫正義はここで一つの頂点に立った。
だが、彼にはもう一つの顔がある。経営者であると同時に、世界を股にかける投資家としての顔だ。実は通信で勝負する以前、彼はある中国の小さな会社にわずかな金を投じていた。それが、史上最大級のリターンを生むことになる。次の章で、アリババ投資という伝説と、その先に生まれた巨大な投資ファンドの物語に入っていこう。
第 3 章 · 20億円が数兆円に——アリババとビジョン・ファンド
前章では、ソフトの流通から始まったソフトバンクが、ネット、ブロードバンド、そしてボーダフォン買収による通信参入へと、巨額の賭けを重ねて駆け上がる姿を見た。だが孫正義のもう一つの顔——投資家としての伝説は、実はもっと前に始まっていた。
時は2000年。中国の杭州にある、まだ無名のネット企業を、孫正義が訪ねた。創業者は、英語教師あがりの男だった。後に世界を代表する起業家となる、ジャック・マー(馬雲)である。会社の名はアリババ。商売の中身もはっきりしない、小さなベンチャーだった。だが孫正義は、わずか数分マーと話しただけで、出資を即決したと伝えられる。投じた額は約20億円。普通の投資家なら、まだ売上もろくにない会社に、これほどの金は出さない。
彼は何を見たのか。事業計画書の数字ではない。マーという人間の目の輝き、語る情熱、そしてその後ろにある「中国でネット商取引が爆発する」という巨大な波だった。ここでも孫正義は、誰もが確信する前に、未来の方向と、それに賭ける起業家に金を出したのだ。
そしてこの20億円は、人類史に残る投資の一つになる。アリババは中国のEコマースの巨人へと成長し、2014年にニューヨークで上場した。ソフトバンクが保有する株式の価値は、一時、投資額の数千倍——数兆円から十数兆円規模に膨れ上がった。たった一つの判断が、会社の屋台骨を支えるほどの富を生んだのだ。これほど鮮やかな集中投資の成功例は、世界を見渡しても数えるほどしかない。
この成功体験が、孫正義の投資哲学を決定づける。彼はそれを「群戦略」と呼んだ。一つの会社を完全に支配するのではなく、各分野で勝ちそうな企業に出資し、ゆるやかな同盟の「群れ」を作る。それぞれが自律的に戦いながら、全体として大きな生態系をなす——という構想だ。アリババはその象徴だった。
そして彼は、この発想をかつてない規模で実行に移す。2017年、ソフトバンク・ビジョン・ファンドの始動だ。その規模は約10兆円。一つのテクノロジー投資ファンドとしては、世界の常識を超える桁外れの大きさだった。資金の多くは、サウジアラビアの政府系ファンドなど外部の出資者から集めた。孫正義は、世界中の有望なスタートアップに、一社あたり数百億円から数千億円という巨額を次々と投じていく。配車サービス、Eコマース、ロボット、半導体——AIが世界を変えるという読みのもと、未来の勝者を一網打尽にしようとしたのだ。
ここに、孫正義という投資家の核心がある。第一に、人を見て大きく賭ける。数字より、創業者と波を信じる。第二に、集中と長期保有。アリババを十数年持ち続けたように、当たりを大きく育てる。第三に、桁を一つも二つも上げる胆力。10兆円という規模そのものが、彼の発想の大きさを物語る。
だが——ここで一度立ち止まろう。アリババのような大当たりは、その裏に、無数の外れがあって初めて意味を持つ。一社あたりの賭け金が数千億円にもなれば、外れた時の傷もまた、けた違いに深くなる。世界中の勝者を買い集めようとする「群戦略」は、本当にいつもうまくいくのか。それとも、巨額すぎる賭けは、いつか足をすくわれるのか。
次の最終章で、ビジョン・ファンドが直面した最大の躓き——WeWorkの失敗を見つめ、孫正義という人物の光と影、そして私たちが受け取るべき教訓を、まとめて考えていこう。
第 4 章 · 光と影——レバレッジという両刃の剣
前章では、わずか20億円が数兆円に化けたアリババ投資と、約10兆円という桁外れのビジョン・ファンドが生まれるまでを見た。世界中の勝者を買い集める——その壮大な構想は、しかし、最大の躓きにぶつかる。
名前を、WeWork という。アメリカ発の、オフィスを小分けにして貸し出す会社だ。創業者は、カリスマ的な魅力で人を惹きつける人物だった。孫正義は彼に強く惹かれ、ビジョン・ファンドを通じて巨額——総額で1兆円を超える規模の資金を注ぎ込んでいく。彼はWeWorkを、単なる不動産会社ではなく、世界の働き方を変えるテクノロジー企業だと見立てた。評価額は一時470億ドルにまで膨れ上がった。
だが2019年、WeWorkが株式上場を目指して中身を公開すると、市場の評価は一変する。巨額の赤字、危うい経営、創業者をめぐる数々の問題が次々と明るみに出た。上場は中止に追い込まれ、企業価値は数分の一にまで暴落する。ソフトバンクは追加の救済資金を投じて支えざるを得ず、評価額は最終的に80億ドル前後まで崩れ落ちた。投じた1兆円超の多くが、巨大な損失となって返ってきたのだ。孫正義は記者会見で、「私の投資判断は間違っていた。反省している」と、率直に頭を下げた。
なぜ、アリババを見抜いた同じ目が、WeWorkでは外したのか。ここに、孫正義という人物の本質的な両面性がある。彼の強みは、創業者の情熱と大きな波を信じ、桁外れの金を集中して賭けることだ。だがその強みは、裏返せば弱みになる。人に惚れ込むあまり危うさを見落とし、賭け金が巨大すぎて引き返せなくなる。アリババとWeWorkは、まったく同じ性質の判断から生まれた、表と裏なのだ。
しかも、彼の手法には常にレバレッジ——借入や外部資金で身の丈以上に張る——という増幅装置がついて回る。当たれば、ボーダフォンやアリババのように飛躍が何倍にもなる。外せば、傷もまた何倍にも深くなる。ビジョン・ファンドは、その後も市場が荒れるたびに大きな評価損を計上し、孫正義は何度も厳しい数字と向き合うことになった。光が強い人ほど、影もまた濃い。彼の物語は、その典型と言っていい。
それでも彼は、賭けることをやめなかった。近年、彼が大きく張っているのが、半導体設計の中核企業ARM(アーム)だ。スマートフォンの頭脳にあたるチップ設計の多くが、このARMの技術を使っている。孫正義は2016年に約3.3兆円でARMを買収し、AIの時代こそチップが世界を支配すると読んだ。これもまた、来るべき波の「入口」を押さえる、彼らしい一手である。19歳で立てた時間軸の発想は、60代を過ぎても少しも変わっていない。
さて、4章を通じて私たちは、福岡の少年から世界の投資家までの道のりをたどってきた。最後に、受け取るべき教訓を三つに束ねよう。一つ、時間軸を長く取ること。彼の判断はいつも、目先ではなく数十年先から逆算されていた。二つ、波と人に賭けること。数字が出そろう前に、方向と情熱を見抜く目を磨くこと。三つ——そして最も大切なこと——レバレッジと集中は両刃の剣だと知ることだ。アリババの栄光とWeWorkの痛手は、同じ刃の表と裏だった。大きく賭ける者は、大きく勝ち、大きく傷つく。その覚悟と、外した時に頭を下げて学び直す姿勢こそが、賭け続ける者の条件なのかもしれない。
孫正義は、自らの賭けをこう言い表したことがある。彼の生き方そのものを示す、一つの言葉として、胸に刻んでおきたい。
登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる。—— 金言
編集部について
孫正義(そん・まさよし、1957年生まれまれ)。ソフトバンクグループ創業者。福岡県の在日韓国人家庭に生まれ、米カリフォルニア大学バークレー校を卒業。1981年にソフトバンクを創業し、ソフト流通、出版、通信、投資へと事業を広げた。アリババへの初期投資や巨大な投資ファンドの運営で知られる、日本を代表する起業家・投資家。
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- 登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる。—— 金言

